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図太く生きなければ駄目 [ここは地獄の3丁目]

いつだったか以前の記事に書いたが、私は親に、家の事は夏の終わりまで待ってくれと言った。それを何度言っても親はまるで日本語がわからないみたいに、買ってすぐに引っ越さなくて良いんだからと繰り返した。そういう親のやり方にすでに心を病んでいた私は、もう一歩も譲れなかった。しまいに親は、私が夏の終わりまで待ってくれと繰り返すにもかかわらず、私が家を出てゆく気がないと受け取った。なぜかは知らないが、夏の終わりまで待ってくれという日本語は、親の脳ミソには理解不能だったらしい。それでひとまずこの話は暫くの間出なくなった。

そして私は何の因果か痛風で病院通いとなり、ただでさえ夏の終わりまでにVHSビデオテープ録画のPC保存を終えて、持ち出す物と見捨てる物を選り分けるのがギリギリの日程だったのに、一体どうなってしまうのかと思った。そうなると、私が家を出てゆく気がないと親が思ってくれているならばいっそのこと作業が終わるまで引き延ばしてしまおうかと、ずるい事を考えるようになった。

今日、親がこう言った。スーパーの向いに建設中の建物は市営住宅なんだって。市営だから、早く予約しないといけないよね。私はその瞬間、夏の終わりまで何もしないと耳にタコができるまで言っただろうと叫びたくなったが、それを親の脳ミソが理解していないのはわかっていたし、何よりも親がいつだって物事を自分の都合に引き寄せて先走ろうとするのと同じように、私もまた転居を引き延ばそうと考えている。つまり私たちは、理性的な話し合いも協定も通用しない人種なのだと、遅まきながら私はわかり始めた。親がボケ老人として常に私の意見や提案やお願いを正確に認識できずに誤解や曲解をするならば、私は親に理解させようと必死になったり親にどこまで譲歩できるかと必死になったりするのは初めから無意味であり逆効果だったのかもしれない。それをしたら私は自分で自分の心を病ませるだけで、それすらボケ老人はわからないだろう。私はもっと自分の心に素直に図太く生きなければ駄目だったのかもしれない。