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今年の秋には何かが起きる [ここは地獄の3丁目]

住宅内覧に行ってきた。相変わらず親のほうが行動しているが、私も私なりに考え、悩み、動いている。

今回は業者に電話した時の話の都合で、急遽2つの住居を内覧させてもらう事になった。これで都合4つの住居を内覧する事になる。

1回目と2回目の住居は、賃貸と分譲の違いはあっても同じ団地の同じ設計者によると思われる間取りの住居だった。特徴が同じで、以前の記事に書いたように私はその特徴が性に合わず、別の団地の住居を内覧したいと思っていた。

今回は、前回までとは別の団地だ。話がしやすいように、1回目と2回目を団地A、今回の2つを団地Bおよび団地Cと呼ぶ事にする。団地Aは駅からいちばん近いが、最寄りのスーパーマーケットはどの方角へ向かっても少し歩く。そう、私は車がない。しかも団地は窪地に建っているので、どの方角へ向かっても上り坂だ。それにもかかわらず、親は最寄りスーパーの数の多さなどを理由にここを第1候補と言う。私は間取りに不満があり却下だ。

団地Bは、駅からはちょいと遠いがバスがある。駅まで歩くのは、やめておきたい距離だ。すぐ近くにスーパーマーケットが1つあるが、ちょっと小ぶりの建物で、それ1つしかない。親はそれを不満に言う。団地Cは、駅からはさらに遠いがバスがある。住居からバス停までちょっと歩く。問題は、近くにスーパーマーケットがない事だ。歩いて歩けなくはない距離にひとつあるが近くとは言いたくない。

私はこの歳まで恵まれた場所にいたらしく、自家用車を持たなくてもやってこられたが、転居の話が出るととたんに事情が変わる。こういう事情は仕事にも言える。私は自家用車を持たないだけでなく足腰が悪くても勤まる仕事に就いていたが、リストラ・転職の話が出るととたんに事情が変わる。

さて、団地Bの住居内覧だ。この住居はもちろん住人が転居するさいに全て綺麗にして行ったが、後で話に出す団地Cの住居のようにリフォーム業者が自社宣伝目的でモデルルーム並みのリフォームをしたわけではない。築何十年か、相当古い団地のキッチンはシステムキッチンでなく、流し台の横にガスレンジが置かれる台があって、使い古したガスレンジは取り去られている。換気扇もいわゆる紐を引っ張るやつが壁に付いている。ただし、私が言いたいのはここまでの事ではなく、この次に書く事だ。古い住居を綺麗に片づけただけなのに、この住居は私の心を打った。この住居を使ってきた人が住居を大事にしていた事が、見てわかるからだ。前述の換気扇はチープな商品だが、その紐には油汚れが付かないようにとアルミホイルが付けてある。ダイニングキッチンの、鴨居の高さの場所には扇風機が取り付けてあり、それに張り紙がある。「とても便利です 良かったら使って下さい」と書いてある。私はこれまで団地Aで2つの住居を内覧した。どちらも住人が転居のさいに綺麗にして行ったが、人が去って行った後のもぬけの殻という印象しかなかった。その住居を使っていた人が住居を大事に使っていたという痕跡は、何も残っていなかった。団地Aのある住居では、襖を閉めたら間に隙間ができた。それとまったく対照的に、団地Bのこの住居では、私が襖を開け閉めしたらその建付けのすばらしいこと、鴨居と襖の間はぴっちりと隙間なく、それでいて窮屈で動きにくい事はなく、スーッと襖は動く。その感触が、今までの2回の内覧とはまるで違った。ここに住んでいた人は、住居を大事にしていたのだ。

個人的な事だが、これは個人のメモも兼ねているので書かせてほしい。私が団地Aの住居の間取りを気に入らない理由は、私の親が臭いや蒸気には無頓着で、カビの栄養になりそうな煮物の蒸気が家じゅうに充満しても何とも思わないので、開放感のある、キッチンと他の部屋との間がルーズに仕切られている住居では私が生きて行けないという事情だ。団地Bの住居を最初に見た時、ひとつを除いて部屋と部屋との接合部が襖なのを気にしたが、いざその襖のしっかりした建付けを知ると、これで文句を言ったら私が馬鹿だとわかった。私にとってこの住居はすごく良いもので、それが後に私を苦しめる事になる。

次に、団地Cの住居内覧だ。ここも築年数は相当なもので、住んでいる人が普通に綺麗にして出て行ったならば団地Bや団地Aと同じだ。ところがここは、上に書いたように、リフォーム業者が自社宣伝目的でモデルルーム並みのリフォームをしていた。住居に一歩足を踏み入れると、白を基調にしたすばらしいリッチな印象の空間に目を奪われる。キッチンはもちろんシステムキッチンで、ガスレンジも換気扇もご想像のとおりだ。湯沸かし器が剥き出しで存在するなんて事はもちろんなく、すべての配管は壁や床の中を通る。フローリングの床は部屋と部屋の間も続いていて、部屋を仕切る引き戸は全部吊り戸になっている。(でも、煮物の蒸気のことで親と完全に考えの違う私は、たとえ古臭くてもしっかりした建付けの引き戸をもつ団地Bの住居がすごくいい!と感じた。)

私たちを案内してくれた業者が話してくれた。こういうリフォームをした住居はそうでない住居よりももちろん相当高いが、もしも同様の住居を買ってそれから同様のリフォームをすると、さらに高くつく。だから、リフォームをした住居を買うほうが得だ。

このあと私たちは家路についたが、私は心穏やかではなかった。数か月前、親は私に言った。人から聞いた話では、住居を決めるまでにみんな5つ位の内覧をするそうだ。だから私は思った。いずれ生まれ育ったこの家を去らなければならないとしても、それは今ではない。5回の内覧をする間には数か月が過ぎるだろう。その間に私は自分の心を決め、ここを出て行けるようになれば良い。ところが、今回の内覧でまだ4件目だというのに、親の口から出る言葉のニュアンスがここを買う!ここを買う!という風に聞こえた。私の言いたい事はまだある。私は少しずつ自分の心を転居に合わせてゆくつもりだった。今回は本当は3回目の内覧なのだ。転居はまだまだ先のはずだった。それが電話の都合で2件の内覧が決まったから、4回目になって私は動揺した。それでも5回目がまだだから転居は先のはずだった。それなのに転居があれよあれよという間に決まろうとしている。私が慌てるのも無理ないじゃないか。

私は風呂に入りながら考えた。もしも団地Bの住居が私の気に入らなかったら、私は親に対して「ここは無理だ」と言えばよかった。でも私は団地Bの住居が気に入ってしまった。私が気に入っただけでなく、親は老体でさらに腰を病み、階段を登らない1階を希望しており、1階の住居はなかなか売りに出されない。だから私自身が今回の団地Bをすごいチャンスだと思っている。だから私は親のここを買う!ここを買う!という気持ちを拒否できない。だから私は苦しんでいる。ところが他方では上に書いたように、私にとって慌てるのも無理ない状況。自分が考えていたよりもどんどん前倒し前倒しで事が決まろうとすれば、当然人間はそれにブレーキをかけようとするだろう。それもまた当たり前。私はどうすれば良いんだ。

考えた。私の側に甘えがあった。私は、いつかは転居するが、今回は3回目の内覧で、決めるのは5回目の予定だから、その間に自分の心を何とかすれば良いと思っていた。でも自分以外の者の立場になって考えると事情は違う。業者は、私たちに適した物件が売りに出されればどんどん紹介する。親は、とにかく転居したい。そんな中で私は呑気すぎた。

私は親との間に協定を結ばなければならない。今回の(私自身ですら気に入った)住居の購入をしないばかりか、夏の終わりまで次の内覧をしない事にさせる。私には物理的にも精神的にも時間が必要だから。夏の終わりまでに私は何としてもVHSビデオテープのPC保存を終え、しかもそれまでの間に心の整理と、今いる住居よりもあからさまに狭くなる場所へ何を移し、捨てる「他の大部分」は何かをはっきり決めなければならない。他方で、それほどの事を親に要求するには、私の側もそれに見合った事をする必要がある。私は秋になって最初の内覧で見た住居に文句を言わずに転居する。つまり私は今年の秋には転居する。それしかない気がする。