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年末大掃除と、家への愛 [ここは地獄の3丁目]

風邪をひいてしまった。寝込んだ。だからこの記事はPCの前に座らずスマホで書いている。

先日の記事で、思い腰を上げて大掃除を始めたと書いたが、あれは実は本題に関係ないからと、わざとサラリと書いていた。本当は体が重く、今年の大掃除はやりたくないと感じていた。毎年もっとやる気があるのに、何か妙だと思った。でもやらないわけには行かない。日本人は年末に大掃除をすると決まっている。きっと掃除を始めればやる気も起きるだろう。こうして大掃除1日目を始めた。

今年の大掃除は去年までと違うことを計画していた。天井を雑巾で拭く。もともと私はそんなに立派な人間じゃない。若い頃は、雑巾がけよりも掃除機で吸うほうが楽だろうと思い、家中のあらゆる所をそうしていた。そのうちにもっとズルくなり、棚の上は埃が積もるが壁は垂直だから埃が積もらない。ましてや天井は真下を向いているのだから埃が積もるはずがないと考え、天井の掃除はしなくなった。それから一体何年経っただろう。私は年をとり、足腰が痛くなり、掃除機を片手で持ち上げてもう一方の手でノズルを持って高い所(電灯の笠など)を掃除するのが無理になった。それで初めて、掃除機よりも雑巾がけのほうが楽かもしれないと思った。それで今年の大掃除は雑巾がけを主にしようと考えたが、そうなると頭に浮かぶのは天井のことだ。ずっと掃除していない天井も、今回は雑巾がけしてやろう。

1日目は玄関の掃除をした。なぜなら、人間だけでなく神霊もここから入ってくる我が家の入り口だから。もちろん天井も雑巾がけし、他の部分もこれ以上できないという位に完璧に掃除した。この日はまだ体が持っていた。

一晩寝て翌朝、起きてみると体の調子が悪い。今日は休みたい。でも今年中に全部の部屋の掃除を終えるためには休んではいられない。掃除を始めれば調子が出てくるだろう。こうして大掃除2日目が始まった。

玄関の次は四畳半だ。なぜなら、この部屋には叔父からいただいたお札(ふだ)が2枚祀ってあるから。他の部屋、とくにご不浄を掃除した後の雑巾や掃除機のノズルで掃除するわけにゆかない。掃除は上から下へとする。下から始めてしまったら、上を掃除した時に掃除済みの場所に埃が落ちてくるから。つまりまず天井の雑巾がけからだ。この四畳半の天井をどう表現しようかとネット検索したが、今どきの住宅にはないのでなかなか見つからなかった。やっと見つけたところでは、竿縁天井とかイナゴ天井というようだ。どうしてこういう構造にするかは知らないが、掃除という観点からはきわめて面倒な、凹凸の多い構造になっている。私は天井を半間×半間に区切り、ひと区切りずつ雑巾がけをした。なぜ半間かは、実際に掃除してみればわかる。天井だから、椅子の上に乗って拭く。椅子を動かさずに手が届く範囲がつまり、半間×半間だ。ひとつ心配していたことがあった。この家は築55年くらいで相当古い。その間天井は張り替えていない。冬には毎年親が能天気にこの部屋で石油ストーブをつけているので、天井材にとっては劣悪な環境だ。掃除機のノズルで吸うならまだしも、雑巾がけなんぞしたら端がめげるのではないか。めげた。この天井はなぜだかまっ平らに板を張らず、各天井材の端に段差を付けている。その段差の所を雑巾でこするので、脆くなっている木材がめげる。それがわかってからは、段差の走る方向に合わせて雑巾を動かすことにしたが、それでもこの脆い天井は毎年こうやってこするべきではない。世の中には、そうっと触らないでいたほうが長持ちする物もある。この脆さから察して、雑巾がけは10年に1回でいいなと私は思った。それと同時に転居のことが頭に浮かび、実際には天井の雑巾がけはこれが最後か、ならば愛情をこめてやってやらねばと思った。

朝起きた時には悪かった体調は、体を動かすと良くなった。私はしばらく元気に天井の雑巾がけをした。ところが、天井を雑巾がけするという計画は、例年の大掃除よりもずっと時間を要した。お昼になってもまだ天井と、鴨居までの木材の雑巾がけしか終わらなかった。せっかく良くなった体調も、無理をしたせいか、また悪化した。悪寒がする。私の体が、今日中にこの部屋の掃除を終わらせることはできない、それどころかすぐに布団に入って寝なければいけないと訴えていた。でも残念ながら、そうは行かなかった。この部屋の掃除を始めるにあたり、移動できる限りのものを別の部屋へ移動した。夜寝るまでの間に、別の部屋に移動したものを戻さねばならない。ところが四畳半は掃除の真っ最中で床は埃だらけ、別の部屋へ運びきれなかったものが四畳半の真ん中に集められている。私が四畳半の畳に掃除機をかけて物を戻さなければ、私の寝る場所も親の寝る場所もない。それで私は無理をし、体調はさらに悪化した。

その時、お札の一枚を祀っている場所の近くで何かを見つけた。長押と小壁の間には隙間があるが、その隙間から見つけた。竿縁天井と同じく、この長押という構造も私にとっては毎年掃除しにくい面倒な場所だ。小壁との間の隙間は意外と深さがあり、当然ここに埃がたまるが、掃除機のノズルでもなかなか吸い出せない。私が若かった頃、大掃除を親に代わって初めて本格的にしようと思った頃は、この隙間から土壁の塊らしきものがゴロゴロ出てきて閉口した。だって、きれいだと思っていた室内から、外の道端の石くれと同様のものがゴロゴロ出てきたんだから。その土壁の塊らしきものも毎年の大掃除で取り除き、もうこの隙間には埃以外何もないと思っていた。でも見落としていたようだ。毎年掃除機のノズルでは吸っていたが、雑巾を指に巻き付けて溝に突っ込んだのは初めてなので、それで今回初めて見つけられたのだろう。何が見つかったかというと、昔の子供のおもちゃだ。プラスチック製で、三ツ矢サイダーのマークみたいに三方向に羽が出ており、その羽の先は細い円形のプラスチックにくっついている。見たとたんに記憶の断片が現れた。この羽は、プラスチックの、たしか黄色いおもちゃに取り付ける。このおもちゃには糸が巻きつけてあり、糸を引っぱると糸を巻きつけた軸が回り、それに取り付けた羽が回り、揚力を得た羽は軸から離れて飛んでゆく。本来は外で遊ぶおもちゃだが、私は子供の頃竹トンボも部屋で飛ばしたことがあり、この「ヘリコプター」も室内で遊んだのだろう。何度も飛ばしているうちに羽が変な所に入って戻ってこなかった。そんなおぼろげな記憶が蘇った。昔の思い出を探している私にとって、これは神からのプレゼントだった。

家中の懐かしいものをチェックして「自宅地図」と称して記録したつもりが、まだ私の探し出していない懐かしいものがあった。長年住んできた家は、思い出の宝庫だ。いずれ事情により転居し、その家を捨て去る時が来るのは仕方がないとしても、それまでの間、家を全力で愛してやらずしてどうする。