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非常勤講師外伝 学校は良くなってきた [非常勤講師外伝]

冬の時代が進むにつれ、学校は年を追って二段階の変化をしたように見える。冬の時代前にはただ「のほほん」としていた学校が、まず危機感を覚えて教員と学生を苦しめ始めた。これが第一段階だ。どういうことか。学校は元から個々の教員や学生のことなど見ていなかった。よっぽど問題がある時に見向くだけだった。その何も見ていない状態で構造改革をやらかそうとしたから、組織に属していた個々人は嵐のように振り回されたということだ。その後学校は、ドロップアウトしてゆく学生をケアするためにどうしたら良いかと考え始めた。学校は学生には目を向け始めた。これが第二段階だ。

私の望みとしては学校は学生のために存在してほしいので、この第二段階は学校が良くなってきたと思える。だから非常勤講師の私も出来る範囲で尽力すべきだ。ところが実際には私は悲しい。もっとずっと早くに学校が意識改革を始めていれば、私は喜んで尽力しただろう。でもその後、学校は私に態度で教えてしまった。「君のことなんか全く見てないよ」と。どうしたら少しでも学校のためになるだろうと考えていた私に、学校はある時は私がやってもいない悪事をやったと濡れ衣を着せ、またある時は理屈の通らない形で仕事をカットしようとした。能天気に職場に感謝して尽力していた馬鹿な私は、ようやく現実に気づかされた。

こうなってしまってから、「学校は良い方へ変わろうとしています。協力してください」と言われて、ハイそうですねと言えるほど人間は単純な生き物ではない。傷ついてから立ち直るまでに長い時間がかかる。

それに、学生には目を向け始めた学校だが、非常勤講師は相変わらず見ていない。学校には学生相談所とかカウンセリングルームというものがあるが、本当は教師のほうがよほどカウンセリングを受けたい。だって私は自分の生徒時代や学生時代には一度だって相談所に頼りたいと思ったことはなかったし登校拒否をしたいと思ったこともなかったが、教師になって生まれて初めて職場へ行くのがものすごく怖いという体験をした。自分の精神が壊れたなと思ったのも教師になってからだ。だが学校に教員相談所があるなんて聞いたことがない。これだけでも、学校は私たちの辛い現状を見ていないし見る気もないのがわかる。

そもそも学校が学生に目を向け始めたこと自体、ひとえに自分の利害に関係するからだ。親がわが子を心配するのと違うのはもちろん、教員個人が使命感をもって教え子を大事にするのとも違う。馬鹿な私でも今はそれくらいわかる。

これが実情なら、残念ながら私は学校から幾分かの距離を保つしかない。昔のように粉骨砕身捨て身の覚悟で頑張れるわけがない。与えられた仕事はちゃんとする。要求されたことが自分の通常の努力でできることならする。でも、多大な時間と労力を要する作業を無報酬で求めてきた時は、もはや知ったことではない。昔の私は馬鹿だったから、そういう時もきっちり仕事をしてヘトヘトになって提出した。いいかげんなことを書いても相手は何も「見ていなかった」というのに。巷で言うには、教職はとっくの昔に聖職ではなくなってしまったのだそうだ。会社で仕事をサボってる人はいくらでもいる。私が馬鹿だった。

学校は、少なくとも表面的には良くなりつつある。だが教員は今までのことで疲れきって、もう意欲的に動く力がない。それは学校が今までにやってきたことのツケだ。仕方がないだろう。時を待てば、また何かが変わると思う。


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