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第四の生き甲斐を探します1 [手記さまざま5]

個人的な「GYAO祭り」とHulu無料視聴期間でギガを完全に使い尽くした私は、毎日インターネット画面が表示されず丸いのがクルクル回る画面を見つめる日々です。

そんな私が今考えているのは、人生第四の生き甲斐を何に求めるか、です。

私の場合、第一の(若い頃の)生き甲斐は、ケンシロウがユリアを愛するように愛に生きることでした。若者はよくそんなことを考えるものですよ。でも男女の愛には相手がいますから、実際にはこれは一人で実現する生き甲斐よりもはるかに難しいです。若い頃はそんな困難をものともしない元気があるんですよね。元気があることと、うまく行くかどうかは別問題ですが。

第二の(社会人としての)生き甲斐は、自分に与えられた職業で最高を目指すことでした。男は職を得て仕事人間になることがあります。昭和時代には、そういう男はとても多かったです。現実には私はリストラされてそれどころではなくなりましたが。ひとつには、時代が変わったということです。仕事人間が一般的だった昭和には、リストラがありませんでしたから。

第三の(リストラ後の)生き甲斐は、子供の頃から捨てないでいた沢山の本、カセットテープ、レコードを老後に改めて楽しむことでした。これならば、愛のように他人が勝手に終わらせることはなく、仕事のようにリストラされることもない。そう思っていました。ところが実際には、老後の楽しみよりも先に転居が来てしまいました。私のようなリストラおじさんが大きな邸宅へ引っ越せるはずはなく、転居に際して必要最低限のもの以外は処分となりました。老後に楽しむはずだった物は消滅しました。私にとって早すぎる終活でした。

だから転居先で首を吊って死のう。とは言えないでしょう。何も考えず白痴として生きよう。とも言いたくないでしょう。それで第四の生き甲斐を探しているんですが、これが難しいです。

第一から第三までの生き甲斐は、気づけばそこにあったものです。そこに女がいて愛していた。就職したら仕事にのめり込んだ。子供の頃からの物はずっと旧居の天袋にあった。私はただ、それを「生き甲斐にしよう」と思うだけで良かった。でも第四(転居後)は、私にはもう何もないのです。無から生き甲斐を作り出さなければいけない。だから、とても難しい。

健康対策も兼ねて新居の周りを探検してみよう、子供の頃に少しずつ家から遠い場所まで探検したように。転居してすぐは、そう考えました。でも新居の周りがあまりにも殺風景だったのです。

無から興味を紡ぎ出すのがあまりに難しいので、私はひとまず第三の生き甲斐、つまり今までの趣味の残り香をたどって、そこから何かを見つけられないか、と考えています。あまり期待はできません。今の若い世代は何でもデジタルデータとして持つので理解できないかもしれませんが、私にとっては手に取って読める本や、大きくてターンテーブルの上で豪快に回るレコードがあればこそ、意欲も愛情も湧くのです。「写真に撮ってあります」「mp3になっています」では、やる気が出ません。その、やる気が出ないものをひとつずつ試してゆくことしか、今の私にはできないのですが。

次回は、最初に私が試したものを記録させてください。

つづく