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第四の生き甲斐を探します2 レコードジャケットの画像化 [手記さまざま5]

教員なので春休みは職場へ行かない(授業がない)私ですが、床屋に行かなければならなかったので、久しぶりにバスに乗って遠くへ行きました。外に出るのは大事だと思いました。人と話すのは大事だと思いました。自分の姿を鏡で見るのは大事だと思いました。若い人は健康そうでうらやましいと思いました。頑張って歩く練習をすべきだと思いました。でもそれは「生き甲斐」ではありません。第四の生き甲斐を探している私の記録が、これから始まります。

ひとつ前の記事に書いたように、無から興味を紡ぎ出すのはあまりに難しいので、私はひとまず第三の生き甲斐だった小さい頃からの趣味を見直し、そこから何かを見つけられないか、と考えています。

私が最初に目を付けたのは、レコードです。なぜレコードか。レコードとは、良い音を聴くためのものです。単純なクォリティではCDに到底かないませんが、それでもなぜか音に温かみがあり、カセットテープ録音やYouTube動画とは比べものにならない良質な音をもっています。いっぽう、それを聴く人間のほうは年老いても聴覚が若い時のままとは限りません。それが今回レコードに目を付けた理由です。私の親が少し前から、音が聞こえないと言い出しました。すべての音が聞こえないのではなく、会話は普通に聞こえます。デイサービスで体をマッサージする機械の動作時間が終わったことを告げる電子音が聞こえないのです。家でも、家電製品が出す電子音が聞こえないことがあります。私は、加齢により高い周波数が聞こえにくくなる現象ではないかと思いました。それと同時に、自分の聴覚も心配になりました。私が親の歳になるまでにはまだ二十五年くらいかかりますが、油断は禁物です。

動画は目で見ることが主なので、音の中で高い周波数が聞こえなくなってもまだ楽しめるでしょう。しかしレコードは、高品質の音を楽しむためのものです。先のことがわからない以上、念のために私はレコードを今楽しんでおいたほうが良い。そう思いました。

私はもうレコードを所持していません。転居にさいして沢山の物を処分しなければならなかった、だから今、第四の生き甲斐を探しているのです。私が今でも持っているのは、処分する前にデジタル化した音声と、レコードジャケットをスキャナで画像化したものだけです。喩えるならば、愛する子供を亡くした親が、それでも子供を写した写真と声を録音したmp3をもっているようなものです。愛している人にとって、それは大事な物ですが、本人はもういません。あとレコードにかんしては、匂いもあります。昔のレコードスプレー特有の匂いです。私は十枚くらいのレコードをまとめて当時の地方自治体指定ごみ袋に包んで湿気とカビを防いでいました。そのごみ袋を開けると、数十年の時を超えてあの匂いが漂ったものでした。それだけで、あの頃を思い出せたのです。それも、もうありません。

これから、レコードのジャケット画像と音声デジタル化について、私が過去に行った作業を書きます。ひとつずつ順に行きましょう。今回の記事では、ジャケット画像について。

私が保存したジャケット画像は2種類あります。ひとつはICEによるもの、もうひとつはAutoStitchによるものです。このICEとかAutoStitchとかいうのは、複数の画像を自動的に結合するアプリの名前です。ではなぜ複数の画像を結合しなければならないか。それは、私のような低所得者が手に入れられるイメージスキャナは性能に限界があるからです。フラットベッドスキャナは、スキャン結果の画像は鮮明ですが、一度にA4サイズまでしかスキャンできません。それ以上のサイズをスキャンする機器は、あまりにも高価です。オーバーヘッドスキャナは、工夫すれば(スキャン面との距離を少しだけ遠くすれば)一度にジャケット全面をスキャンできますが、そもそもスキャン結果の画質が「二十年前のデジカメ」程度です。大事なレコードを失う前にせめてジャケットの画像を保存したいという時、二十年前のデジカメ撮影では問題になりません。だからA4サイズのフラットベッドスキャナで4回スキャンし、その画像を結合したのです。

ICEとAutoStitchには結合画像に違いがあります。違いの詳細は、昔のブログ記事を見てもらったほうが良いです。私自身、今では忘れた部分がありますから。とにかくICEは歪みが少ないが結合部分に不整合が出やすく、AutoStitchはICEが不整合を出した場合にも結合部分が滑らかに繋がるけれども、時にはとんでもなく歪みます。私は基本的にICEを使いつつ、ICEで不整合が気になる時には(ジャケットの端に直線があって、画像の結合部で線が途切れてしまう場合などには)AutoStitchを採用しました。

結合画像の一例を出します。下の画像はAutoStitchによる結合です。AutoStitchを使うと画像はICEの場合よりも少しぼやけます。解像度も落ちます。でもこのレコードジャケットの場合は、「ちょっと見た時に違和感の少ない画像」はICEでなくAutoStitchでした。この時点で、大事なことを書いておくべきです。ここまでの記述をよく読めば察してもらえますが、レコードジャケットを画像として保存しても、そんなものは「まがいもの」です。実物のように手に取ることができないのはもちろん、細部の表現も実はごまかしで、ちょっと見た時にそれらしく見えて「おお!」と思えるだけです。残念ながらそこまでの結果しか出せなかったのです。
Holst1.jpg

上の画像はここでお見せして終わりではなく、音声デジタル化の話が済んだ後で音声と共にもう一度登場して、私が最終的にどんな形を目指しているかをお見せすることになります。

この記事はだいぶ長くなりました。話は音声デジタル化へと続きますが、それは日を改めて書きましょう。


第四の生き甲斐を探します1 [手記さまざま5]

個人的な「GYAO祭り」とHulu無料視聴期間でギガを完全に使い尽くした私は、毎日インターネット画面が表示されず丸いのがクルクル回る画面を見つめる日々です。

そんな私が今考えているのは、人生第四の生き甲斐を何に求めるか、です。

私の場合、第一の(若い頃の)生き甲斐は、ケンシロウがユリアを愛するように愛に生きることでした。若者はよくそんなことを考えるものですよ。でも男女の愛には相手がいますから、実際にはこれは一人で実現する生き甲斐よりもはるかに難しいです。若い頃はそんな困難をものともしない元気があるんですよね。元気があることと、うまく行くかどうかは別問題ですが。

第二の(社会人としての)生き甲斐は、自分に与えられた職業で最高を目指すことでした。男は職を得て仕事人間になることがあります。昭和時代には、そういう男はとても多かったです。現実には私はリストラされてそれどころではなくなりましたが。ひとつには、時代が変わったということです。仕事人間が一般的だった昭和には、リストラがありませんでしたから。

第三の(リストラ後の)生き甲斐は、子供の頃から捨てないでいた沢山の本、カセットテープ、レコードを老後に改めて楽しむことでした。これならば、愛のように他人が勝手に終わらせることはなく、仕事のようにリストラされることもない。そう思っていました。ところが実際には、老後の楽しみよりも先に転居が来てしまいました。私のようなリストラおじさんが大きな邸宅へ引っ越せるはずはなく、転居に際して必要最低限のもの以外は処分となりました。老後に楽しむはずだった物は消滅しました。私にとって早すぎる終活でした。

だから転居先で首を吊って死のう。とは言えないでしょう。何も考えず白痴として生きよう。とも言いたくないでしょう。それで第四の生き甲斐を探しているんですが、これが難しいです。

第一から第三までの生き甲斐は、気づけばそこにあったものです。そこに女がいて愛していた。就職したら仕事にのめり込んだ。子供の頃からの物はずっと旧居の天袋にあった。私はただ、それを「生き甲斐にしよう」と思うだけで良かった。でも第四(転居後)は、私にはもう何もないのです。無から生き甲斐を作り出さなければいけない。だから、とても難しい。

健康対策も兼ねて新居の周りを探検してみよう、子供の頃に少しずつ家から遠い場所まで探検したように。転居してすぐは、そう考えました。でも新居の周りがあまりにも殺風景だったのです。

無から興味を紡ぎ出すのがあまりに難しいので、私はひとまず第三の生き甲斐、つまり今までの趣味の残り香をたどって、そこから何かを見つけられないか、と考えています。あまり期待はできません。今の若い世代は何でもデジタルデータとして持つので理解できないかもしれませんが、私にとっては手に取って読める本や、大きくてターンテーブルの上で豪快に回るレコードがあればこそ、意欲も愛情も湧くのです。「写真に撮ってあります」「mp3になっています」では、やる気が出ません。その、やる気が出ないものをひとつずつ試してゆくことしか、今の私にはできないのですが。

次回は、最初に私が試したものを記録させてください。

つづく


マッドだって、元気がないよりはマシ [手記さまざま5]

私の目には、世の中は元気に見えます。年をとった私が世の中の変化について行けないだけかもしれませんが。

世の中が元気に変化している例として、AIが絵画や音楽を作るそうですね。AI絵に著作権はあるのかという議論になっているとか。私が若い頃は、コンピューターに絵や音楽を創作させたくても出来なかった時代です。私自身がもっと元気なら、AIがどんな絵や音楽を作るのか試してみたい所です。

私が世の中を元気だと思うのは、AIの件だけではありません。むしろAI絵の話は、一般的で私以外の人も取っつきやすいから最初に挙げただけです。世の中には、もっととんでもない物が登場しています。それは、ハイジとプーさんです。ハイジとプーさんが、外国で大変なことになっています。マッドになってしまったのです。見たいような、見たくないような。子供には見せないほうが良いでしょう。

私はここ一年余り不運だったので、ブログ記事も低調ですが、早く世の中のように元気にならなければいけないと思うのです。いえ決してハイジやプーさんのようにマッドになるという意味ではありませんが、マッドハイジや血塗られたプーさんでも元気がないよりマシです。つまり今の私よりマシなのです。ああ、早く何とかして元気を出したい! 私はそう思っています。