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個人的記録(天袋から出てきた歌曲CDの処分) [  その他(補完計画)]

天袋は私の思い出の宝庫だ。そこにある物の99パーセントは私の宝物であり、デジカメ撮影等でデジタル化した後も捨てることはない。でも物事には例外があり、天袋のいちばん奥から処分するものが出てきた。CDだ。クラシックの歌曲と合唱コンクール。

買ったのは20年以上前らしい。今では音楽を聴かない私が、最後に興味を持ったCDがこれだった。これ以後私はCDを買わなかった。(タンジェリンの風船つきとシングルは例外だ。)

問題はそこから先の話だ。私は歌曲を理解していたのか。いえ、チンプンカンプンだった。大抵は何がいいのかわからなかった。そもそもクラシック音楽とは、人類誕生以来の長い歴史の中のほんの一時期に特定の地域で流行った音楽を何故か21世紀の今になっても他の地域でも後生大事にやっている人がいるという文化の事なんだが、昔の私はガキだったのでそんな事はわからず、何かとても素晴らしいものに違いないと妄想をたくましくして勝手なイメージでCDを聴いた。シューベルトの冬の旅などは私の格好の餌食となり、何もわからない私が夜になるとわざわざ楽譜まで持ち出して、譜面をろくに読めもしないのに見ながら聴いたものだった。私はそこに自分勝手な夢を見ていた。

その冬の旅はCDが2枚もある。歌手が違うが、果たして私に歌手による歌の違いがわかったのだろうか。美しき水車小屋の娘は1枚だけだが、トラックが2つしかないという胡散臭いCDだ。安売りしているCDでも買ったのだろう。シューベルト、シューベルトと来て「シュー」つながりというわけではないが、シューマンのクライスレリアーナが1枚ある。歌曲じゃない。ピアノ曲だ。これがまた、わけのわからん曲で、好きだから買ったのではない。私が昔好きだったのはバッハのゴルトベルク変奏曲で、なぜか好きな曲のCDはない。どうやら、好きな曲は初めて聴いた時のカセットテープ録音を後年まで聴くことになり、好きでない曲はそれでも手に入れるためにCDを買う羽目になったという皮肉らしい。でも人生とはそういうものだ。理想どおりには進まない。それでも人は足掻き、それなりに目的を達成してゆく。

合唱コンクールCDについては、機会があれば改めて記事を書こう。今日はここまで。
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