SSブログ

手記 [女子大生]

今回はただの手記です。適当に読み飛ばしてください。

近頃、女子大生にたいする私の見方が変わってきました。私が女子高生を教えないようになって数年が経つから、そのせいなのか。それとも私が年をとってきたからなのか。

最近観察していると、この生き物がまるで自分とは異なる存在のように思えてきます。若い頃に彼女らに引かれたり憧れたりしたのがどうしてだったのか、理解に苦しみます。

この生き物の生態を観察してみましょう。単体で教室に来て帰る個体もあり、教室に来てから2個体ないし6個体で群れを形成する固体もあります。同じクラスの個体でも他の個体の名前を知らないという事例があります。親しそうに毎回お喋りしていた2個体が、進級に伴って会う機会がなくなると意外なほどにそれっきりという事例もあります。

ところで、この個体が群れを形成すると、おしゃべりが始まります。おしゃべりの内容は2種に大別されます。ひとつは卑近な話で、たとえばサンドイッチは食事として食べた気がしないから嫌いだとか、食べていくと最後にパンだけ残るのが嫌だとか、私は残ったパンだけの所は捨てるとか、私はパンの耳が好きとか、それを聞いて「えー」とか、パンの耳ってパン屋で安売りされてるとか、揚げて食べるとか。

もうひとつは恋愛の話です。しかも彼氏とうまく行っていないという暗いネチネチした話で、必ず彼氏が悪者で、以前と違ってずいぶん冷たくなった彼氏への恨み言が続きます。

この生き物の大半には彼氏がいるか、好きな男がいます。授業中にはそれがわかるはずもなく、上記のネチネチ話などが始まってようやく教師には察せられるのですが。

この生き物の恋愛観は、私とは何か違います。たぶん私がこの生き物を自分とは異質だと思い始めたのは、そのためです。私の目から見ると、この生き物の恋愛はどこかゲームのように、人間の生死から浮いた所にあります。なるほど、この生き物なりに真面目に恋をして、真面目につきあってはいます。でも何か、言葉にできない、私としてはお近づきになりたくない何かを感じます。色々考えた挙句、今日耳にした一言に自分との違いを見つけました。

ある生き物が言いました。つきあうっていっても、それは友だちと何が違うのか。やってることは同じじゃないか。今から先は彼氏彼女なんだという取り決めみたいなものか。

聞いた私は思いました。言葉面だけは合っている。でも私の恋愛はそれとは違った、と。

私が大学生の頃、同じ部活動の女性を好きになったことがあります。彼女は困って言いました。友だちも恋人もすることは同じだから、と。私がそこで言葉をさえぎったので、そのあと彼女がどう続けようとしたのかはわかりません。私は否定せずにはいられなかった。友達と恋人はまったく違う。他の人とあなたはまったく違う。キスやセックスがなくても、ただ一緒にいるだけでも、まったく違うのだ。

そういえば私は彼女に言ったことがあります。他の女の子と一緒に部活動をエスケープすることは絶対ないが、あなたとならできると。自分が社会的に不利な立場になることでも、ある特定の相手となら自分からすすんでやれる。その人だけは私に無限の勇気をくれる。なあんだ、友だちと恋人の違い、決定的にあるじゃないか。

でも、この生き物にはそういう気持ちはないらしい。私の大学生時代にも、現代も、友だちと恋人のすることは同じだと言い放てるんだから。もしもすべてが表層的に過ぎてゆくのなら、その人生の浪費に何の意味がある? 私は、たとえうまく行かない恋ばかりでも、命をかけて必死で愛するほうが好きです。自分の人生を好きになれるから。

そういうわけで、私はこの生き物には、お近づきになりたくないものを感じていたのです。教室で笑い合っている程度の当たり障りのない接し方が、実はいちばん幸せだということです。


コメント(0)  トラックバック(0) 

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 0