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個人的仏教探索 (5) [個人的仏教探索]

今回は、「捨てる予定の本」という珍しいテーマで話を進める。

本は人間が書くもので、人間は一人一人考える事が違うから、本の中身は書く人によって千差万別だ。普通人は本を読んで、(ただ新しい知識を身につけるだけではなく)著者に賛同したり反発したりしながら自分自身を見つめ直す。これを文学系の人は「本と対話する」とか「本と対決する」という風に表現するらしい。

ところがごくまれに、どうにもつきあいにくい本がある。これを私は「煮ても焼いても食えない本」と呼んでいる。

岩本裕著「仏教入門」(中公新書 昭和59年第36版;初版は昭和39年)は私にとって、煮ても焼いても食えない本だった。「はじめに」を読めば、この本がどんな物かわかる。

まず、人々の禅への関心を「色々と話を聴けば、結局はサロンの話題の一つに過ぎないようだ」と言い、人々が「わけのわかったようなわからぬような提唱」を聴いて満足するのは「トランキライザー」的な効果だと言う。

次に、「真宗大谷派の金子大栄師」が当時の「創価学会の集会」などの「宗教の大衆動員について」「『ああいうものを宗教とは考えていません』と答えて、いわば逃げてしまった」事を4行の文で挙げ、これを17行も費やして批判している。

続けて「山田無文老師」の発言を8行で取り上げ、これを18行も費やして批判している。

つまりこの本の著者は、当時の仏教者達にも、その仏教者達に傾倒する民衆にも、問題意識をもっていた。著者は「これまで仏教者の言うような『あばたもえくぼ』式な見方ではなしに」、著者が健全だと考える仏教理解を示し、それによって読者を啓発しようとしている。

ではそのような行為を私は「煮ても焼いても食えない」と考えているのか?いや、そうではない。それ自体は著者の自由だ。問題は、それを著者が「仏教入門」と銘打って出版した事にある。

当時の仏教者のあり方に思う所があったのなら、仏教者を対象とした読み物にするべきだった。少なくとも、すでに仏教に携わっている人を対象にした読み物にするべきだった。例えば仏教に携わる人々が読む定期刊行物のエッセイとして連載するのも良かっただろう。ところが、この本は「仏教入門」だ。まだ仏教をほんの少ししか知らない一般民衆が、仏教をもっと詳しく知りたいと関心をもって買う本だ。そういう一般民衆の頭の中は、真っ白な紙のようだとは言えないとしても、まだそれほど汚れたり染まったりしていない。普通に説いて聞かせれば学んでくれるのだ。

それなのにこの本では、「これまで仏教者の言うような『あばたもえくぼ』式な見方」というのが暗黙のうちに根底にあり、それをいちいちひっくり返す方法で各項が結論づけられてゆく。素直に知識を得ようと読み始めた読者は、そのたびに妙な戸惑いを覚える。そして読み進めるうちに、(文学的比喩だが)いわば行間から著者の顔が見えてくる。その顔は読者である自分には向けられずに、執筆当時の仏教者達にだけ向いていて、皮肉まじりに薄笑いを浮かべている。本と向き合って、つまり著者と向き合って真面目に対話しようと思っていた読者は、著者の皮肉まじりの薄笑いにだんだん腹が立ってくる。

本文の個々の項目について色々書くと長くなってしまうので、それに代えて「あとがき」を紹介したい。著者はこの本を「寄せ鍋」に喩えている。そしてこう書いている。「さて、寄せ鍋の材料だが、まず『ブッダの環境』では『ブッダはインド=アリヤン人にあらず』として、現在のわが学会の視野から見れば随分と味の変わったスープであろう。しかし、これは著者が二十数年来考えつづてけきた、とっておきの味つけである」今この引用を読んだあなたは、私がさっき書いた事を理解してくれるはずだ。「仏教入門」を買う一般民衆は、まず仏教とは何かが知りたい。原始仏教ならば、ブッダの教えは何だったのかをまず知りたい。でもこの本の著者はブッダがインド=アリヤン人かどうかを問題にして、これを自分がずっと考えてきた「とっておきの」話だと言う。仏教の中身を知りたい一般民衆にとって、ブッダがどこの生まれかというのは、殆どどうでもいい。それがどうでもよくないのは、「現在のわが学会」とやらに所属している人だけだ。私は著者に言いたい。「著者さん、あなたはどこを見ていらっしゃるのですか。読者である私のほうを見てください。あなたは執筆当時の仏教者の事ばかり気にしていらっしゃる。それなら、そういう人向けの本を書けばいい。どうして『仏教入門』などというタイトルを付けて私たちに買わせたのですか。」

著者は真面目に学問研究をする人だったようだが、しかし、当時の仏教者達の事を日夜ネガティブな意味で考え暮らすうちに、ご自分の思考形態がひねくれてしまった事に気づいておられなかったのではないか?

「捨てる予定の本」は、もう1冊ある。よりによってまた岩本裕という人の著書だ。今回はもう相当長く書いたので、その本についてはまた別の機会に書きたい。
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