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高校と女子高生(5) 女子高生について [高校と女子高生]

(高校と女子高生(4)から続く)
昔の人ほど真面目で勤勉だ。「今日の辛抱明日の幸福。努力、努力、また努力」という言葉をご存じだろうか。これは、私の親の年代の人間が考えてきたことだ。この考えに忠実に生きれば、毎日が努力だけで成り立つことになる。毎日「明日は幸福だ」と考えつつ、毎日努力し、気がつけば今日が死ぬ日だ。思えば人生は努力だけで終わったなあ、ということになる。毎日仕事だけに終始して、定年になって気がつけば人生は仕事だけだった、それも終わった、というサラリーマンと妙に重なって見える。こういう昔の人は、私の考えでは、人生のどこかを必ず遊びの要素が支えている女子高生の対極に位置するものだ。私は、同年代の女性の生き方すら退屈に感じるようになった。同年代の女性と話すと、まるで温室の中にいるようにぬくぬくとして、刺激がない。いっぽう女子高生と話すと、つねに刺激の連続だ。それは私の人生とは異質のもので、私のようなオジサンが会話について行くことは不可能なのだが、それでも若者の生き方という刺激を知ってしまったら、退屈な世界には戻れない。

女子大生にも同様の傾向は見られる。ただ、大人になった分だけ高校生よりも控えめかもしれないが。女子大生の場合も、何らかのアイテムを使うと容易に面白くなる。ある学生はヴァイオリンを持ってきた。周りにいたヴァイオリン未経験者の友達たちが弾かせてもらって「おもしろーい」と言っていた。彼女たちがやると、何をやっても楽しそうだ。それを文字であなたに伝える手腕が私にないことが悔やまれる。アイテムがなくても楽しい。ある時、私は理容室で耳の上と後ろをサッパリと刈り上げてもらったのだが、わかっていたこととはいえ、ずいぶんとまた刈り上がってしまった。その状態で学校の教室に入るとひとりの学生が「先生髪切りましたね。」「うん、床屋で刈り上げちゃっていいですって言ったら、こんなになっちゃった。」私が後ろを向いた瞬間すかさず3人の女子学生が
「刈り上がってる!」
「刈り上がってる!」
「刈り上がってる!」
こんなどうでもいい言葉が、彼女たちが喋るとどうしてこんなに面白いんだろう。またある時は、授業前にひとりの女子学生が友達に話していた。「でね、その学校では体育の時必ずブルマーをはかなきゃいけないことになっててね、それがみんなにチョー嫌われてね、みんなやめちゃったんだって(笑)。」同じことをオジサンが喋ったらエロオヤジと思われかねないのに、女子大生が喋るとどうしてこんなに面白いんだろう。

今でも覚えている。私の大学生時代に、私が好きだった女の子が、「楽しいことがあれば生きてゆけそうな気がする」と書いた。当時の私はガチガチの糞真面目人間だったから、楽しければ生きられるという発想がまったく理解できなかった。でも今ならわかる。非常勤講師を取り巻く学校法人の実情は、もはやとても人がまともな精神状態で生きてゆける状態ではない。私も残念ながら精神をやられた。それでもたったひとつ、昔と変わらないものがある。それが教え子だ。教え子がいれば教師は生きてゆけそうな気がする。


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