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消費者の不安と風評被害、それらを共に解決するために不可欠なもの [震災後の放射能漏れ問題]

私はこのごろ、生活に張りがない。体の病気とは別だ。仕事は、その時にやるべきことをとにかく毎日こなしている。週末には体を休ませることができる。別段問題や不満があるのではない。それなのに、仕事をやりとげても、趣味をやりとげても、「達成感」「意欲」「目的意識」といったものが湧かない。酒を飲んでも楽しい気分になれない。月火水木金土日という繰り返しで延々と続く生活に「いつまで続くのか」「区切りはないのか」「何か非日常的な羽目外しはできないものか」と思い続ける。こんなことは今までになかった。心が、「どうやったら楽しい気持ちになれるのか」を忘れてしまった。

東日本大震災以来、日本中で「被災」「義援金」「風評被害」「節電」が毎日のキーワードのように繰り返されている。そんな中で毎日をケラケラ笑って過ごせたら、かえって不気味だ。きっと私以外の人も私と同じ心なのだろうと思って、いろんな人に聞いてみた。親。床屋さん。職場の同僚。先輩。でも、心がこんなになっているのは私だけだった。意外だったが、私だけが特別な心だと認めなければならない。

そういう今の私にとって、放射能は明らかに不安材料のひとつだ。ほうれんそうから放射線が検出された日以来、ほうれんそうが気になる。緑茶から放射線が検出された日以来、緑茶に興味がない。職場の食堂のショーウィンドウで、ボイルキャベツがたっぷり乗ったつけ麺を見つけた。一目見て、すばらしいと思った。ヘルシーで体に良さそうだ。野菜は高いだろうに、よくこんなにふんだんに使ってくれたものだと感心した。学食の厨房には営利企業が入っているから、赤字覚悟の支出はするはずがない。とりわけ安いキャベツを探してきたんだろう。どこのキャベツ?どんなキャベツ?とちょっと考えてしまったら食欲を失った。しばらく悩んだ末、野菜の入っていないラーメンにした。

こんな異常な精神状態を打破すぺく、休日の今日はなんと昼間っから酒をたらふく飲んで「脳みそをリセット」し、カラリと考え方を変えて新しく始めようと思った。そして行きつけのスーパーに行った。ここの中華風焼きそばが私の大好物だった。何はなくとも、ここの中華風焼きそば。これが、飲む時にとっても合うんだ。美味いんだ。このスーパーに寄れる日で、飲める日は、必ず私はこの中華風焼きそばを買った。今日も売り場で見つけた。その時、とても意外なことが起きた。見るからにまずそうだった。なんでだ。今までいつだって、この中華風焼きそばが大好物だったのに。しばらく見つめていた。そのうちに、私の目は焼きそばの中の葉野菜に焦点が合った。結局私は、私の嫌いな酢豚を買った。葉野菜が入っていないから。こっちのほうが食べられそうだった。私は、気が狂ったのか?

テレビのニュースで「風評被害」という言葉を聞くたびに、私はイライラする。なぜかというと、まるですべての産物が当たり前に安全で、だから「みんな根も葉もない風評被害」だというふうに聞こえてくるからだ。

ここで問題をもっと精確に細分化して見なければいけない。「風評被害に遭った生産者の方々」にとっては、「みんな根も葉もない風評被害」というのは100%真実だ。それは生産者の視点から見た「風評被害」だ。

いっぽう、消費者の目から日本の生産物を見た時には、そのすべてを「安全だ」と受け入れるわけにゆかない(詳細は後述)。そして、私は消費者だ。

実際には日本の産物には2種類がある。本当に安全なものと、残念ながら規定値以上の放射線が検出されてしまったものと。理論上は、規定値以上の放射線が検出されてしまったものは廃棄処分となる。ただし、今までの日本を振り返ると、話がそんなに簡単じゃないと思えても仕方がない。国産と表記した産物が実は外国産だったり、その産物が魚類等の場合は外国から輸入した後短期間日本で飼育すれば合法的に国産になったりと、一部の商人はとても「頭がいい」。それを歴史が実証してしまっている。そして、「本当に風評被害に遭ってしまった方々」を補償する仕組みは日本国に存在するが、「長年いろんな物を食べた結果、原因はどこにあるかわからないがとにかく体内被ばくした人」を補償する仕組みは日本国にない。そもそも、たとえ補償されても健康は戻らない。

私が考えすぎなのか?それとも他の人々が能天気なのか?私はもちろん、人々の不安を煽る気などまったくない。ここに書いていることは、「私自身の心の声」だ。

そして、私が煽り屋でない証拠に、私はこれまで、どうしたら自分(消費者の一人)と「風評被害」(つまり生産物に規定値以上の放射線が検出されないのに出荷や販売ができずに被害をこうむった生産者の方々)との間に「どちらも共存してゆける解決策」が見いだせるかと考えてきた。

日本が「放射能不安」から逃れられなくなったのは事実であり変えようがない。でも現状を変えてゆくことはきっとできる。ではこれから出来ることは何かといえば、「信頼できる機関が、必要な期間のすべてに渡り(少なくとも放射性セシウムの半減期に至るまで)、できるだけ正確な検査結果を得、それがたとえ悪い情報であっても必ず公開する」ということだ。これは消費者だけでなく、生産者の方々にとっても最善の方法だ。なぜなら、

1.もしも生産者が生産したものが規定値以上の放射線をもっていれば、それはそもそも日本の全国民の健康のために廃棄処分せざるをえないものであり、他に道はない。

2.もしも生産者が生産したものが規定値以上の放射線をもっていなければ、そのことを「信頼できる機関」が保証してくれる。つまり、その保証を知って消費者は安心してその生産物を買うので、それは生産者の利益になる。

ここから先は、生産者の方々ではなく、私および消費者と、放射線の検出を行う「信頼できる機関」、そして行政がしなければならないことだ。

A.「信頼できる機関」は、上記のとおり、必要な期間のすべてに渡り(少なくとも放射性セシウムの半減期に至るまで)、できるだけ正確な検査結果を得、それがたとえ悪い情報であっても必ず公開しなければならない。

B.行政は、放射線量が規定値を超えた産物を、それと知って流通させる者がいないように監視し、万一そのような者がいれば、日本在住の人の健康を損ない、癌をはじめとする重病を発症させる要因をそれと知りながら流通させた罪として、厳罰に処さなければならない。

C.私をはじめとする消費者は、A.「信頼できる機関」の努力とB.行政の努力があって初めて安心できるが、みずからそれらの機関/行政の活動をホームページ等で確認し、信用したからには、安心して積極的に各地の産物を購入し消費しなければならない。

お気づきのとおり、これらA、B、Cは、互いに連携しあっている。どれかひとつでも欠ければ信頼関係が崩れる。そのかわりに、ひとたびABCの連携が実現すれば消費者および生産者の方々には現時点で最高の結果が得られる。それどころか、これを徹底して行った後で国外にも公表すれば、日本国からの輸入をためらっている外国に輸入を再開させるための強力な後押しにもなる。

本当は、こういう大それた意見は無名のブログ作者ではなくて、国民に知れ渡ったカリスマをもった人が言わなければ意味がない。

私としては、心からこれ(またはこれに代わるもっと良い案)が実現されることを望んでいる。つまり、日本の消費者不安と風評被害が「消費者/生産者それぞれの思考そのままに混乱し、時にぶつかりながら解決を探ってゆく」のではなく、「消費者不安と風評被害を解決するために構築された理論または論理に後押しされて国民みんなが進んでゆく」ことを望んでいる。

原子炉について身をもって学習してしまう日本人 [震災後の放射能漏れ問題]

周知の通り、福島第1原発の原子炉1号機内部の水位が炉心よりはるかに低く、炉心が全然水に浸かっていなかったことが先日ようやくわかった。予想をはるかに超えてこんなに長い期間空炊き状態だった炉心は完全にメルトダウンしているものと思われ、その溶け落ちた燃料そのものは燃料容器下部の水に浸かったから今では冷えていると思われるが、その燃料が溶け落ちた時点で燃料容器またはその近辺のどこかに穴をあけ、注水した水が出てしまっているようだ。東京電力が提示していたステップ1だのステップ2だのという今後の作業予定は、完全に見直しだ。

とっくに原子炉内を満タンにしていたはずの1万トンの水は、放射能と一緒にどっかに垂れ流しだ。

ニュースはとっても親切に概念図を使って「メルトダウン」について教えてくれた。炉心の温度が高温になりすぎて溶けちゃって原子炉内の容器の底に溶け落ちるから「メルトダウン」というのだ。なるほど。このメルトダウンという言葉はチェルノブイリの頃からよく聞いていた。とにかく原子炉事故の最悪の事態を意味する、ついにメルトダウンが起きた!といえばそれは最悪だ。そんなあいまいな知識だけが私の中にあった。でも「メルトって、どこのどんな部分が溶ける(メルト)意味なのか」というはっきりしたイメージはなかった。今回ものすごく明確にわかったぞ。私以外の日本人も、こともあろうに身をもって原子炉の構造とその事故について学習した。この学習の授業料は、放射線にたいする毎日の不安と、現実問題として通常よりも高いレベルの放射線の中でずっと日常生活を送っているというリスクだ。この授業料、あまりに高額すぎるぞ。

これよりさらに数日前だが、神奈川県のお茶から基準値を超える放射線が検出され、全部回収となった。ちょっと待て、神奈川ってあの、福島から茨城よりも千葉よりも東京よりも遠い神奈川だろ?あんな所の農作物も一部ダメだっていうのか。一体どうなっているんだ。

日本には原発賛成派の人もたくさんいる。それは人それぞれに利害関係が異なるからだ。でもちょっと不思議だ。もしもこんな事故が起きず、現実にこれほどの脅威になると知らずにいたら、さまざまな利害関係から原発推進派がいるのは十分にありうると思う。でも、このわけのわからない惨状を知っても、それでも原発賛成と言っていられるのか。他人の所の原発は危険でも自分たちの所の原発は安全だと思っているならただのはた迷惑な愚鈍だが、まさかそんなことはあるまい。

大震災備忘録ひとまずここまで [震災後の放射能漏れ問題]

災害時の非常持ち出し品については少し資料を得たので改めて考えたいが、それ以外のことはひとまずここまでにしたい。前回の記事からもう10日あまり経っている。その間に起きたことは何だろう。

まず震災の名称が、最初は東北関東大震災だったものが次第に複数の名称が使われるようになり、最後は東日本大震災と政府が決定した。余談だが、先日の選挙でウチの近くに来た日本共産党の立候補者が、とてもしっかりした口調と論調で人を説得する演説を披露して帰って行った。その時に、同時に被災地への寄付も受け付けた。その時立候補者は言い回しにちょっと困った。それで「東北大震災」と言った。時はすでに「東日本大震災」と名称が決まった後だったが、立候補者は「東日本大震災」も「東北関東大震災」も使うわけに行かなかった。なぜならこれらを使うと寄付する側の人々から「俺たちだって被災者だ」と思われてしまうからだ。それで「東北大震災」と言った。

若者の間で祭りになった「ありがとウサギ」は、無数の絵がネット上に並んだ。巨大変形ロボである「グレートありがとウサギ」は閲覧回数がものすごいことになり、オリジナルのニコニコは知らないがYou Tube版でも5百万回を突破した。その後さよなライオン、ウナギ、ワニ、マンボウと次々に変形ロボ化し、男の子と女の子までとんでもないことになり、何が何やらわからなくなった。明らかにやりすぎだ。初めのうちは温かく見守っていたであろうAC JAPAN関係者も、きっと今では渋い顔をしているに違いない。

東京電力が計画停電を控えてくれているので、生活が楽になった。「計画停電はない」と言われただけで、すごく楽になった。精神面はもとより、「この時間はハードディスク入りの機器は止めなきゃ」とか、「あの時間になる前にあの機器を使っておかなきゃ」とかいう余分な心配がないから。

テレビをつけると電力消費の節約をテーマにした番組が目につく。もちろん節約は必要だ、とくに夏に向けて。それはそうだが、番組にはいささかうんざりしてきた。そんなにガミガミ言わんでも、ウチは夏にエアコンつけないことのほうが普通だ。台所の流しの上の蛍光灯なんかたったの15ワットだ。私の部屋の電灯はサークラインが1本だけだ。今回の災害よりはるか昔、少子化で職場(学校)から給料を減らされた時点で節約を強いられているんだ。これ以上やれというのか。

前の記事で私は地震が少なくなったと書いた覚えがあるが、それは書かないほうが良かったかもしれない。福島県あたりで今日も大きな地震があった。今でも時にデカいのが来る。微震の類は、地面が揺れてるんだか自分が揺れてるんだかもうわからないから、一切気にしないことにしている。

最後に特大の記事を書かねばならない。今回の福島第1原発事故の「評価」がついにチェルノブイリと同レベル、最悪の「レベル7」に上がった。それじゃあ原発から遠くない関東(全然遠くないぞ、放射性物質は雲に乗り水を流れ簡単に到達しているぞ)では、レベル7だからってどうすればいいんだ。結局ふだん通りに生活するしかない。放射能への危機感はもちろん相変わらずある。その危機感の中で精神的に疲労し一部感覚が麻痺してきた自分がいる。仕事とか買物とかしなきゃならん日常の中で、どこから迫ってくるんだか来ないんだかわからない放射能相手に、何ができるっちゅうねん。

日本人は、原子力の恐怖を身をもって体験した民族になってしまった。原爆に続き原発でも。できればそんな体験は誰だってしたくなかったが、起きたことを無かったことにはできない。それなら考え方の方向を変えよう。私たちは原子力の恐怖を知る民族として、それを世界に伝えてゆこう。原発を増やすくらいなら、節電を語った方がましだ。夜の東京にネオンが無いとしても、それのどこがいけないのか。むしろ立派じゃないか。「クリーンな原子力」とかいう世界中探しても現実にはありえない物を堂々と論じる迷惑な人にならずに、貧しくても胸を張って生きて行ける民族になったらどうだろう。

大震災備忘録の続き [震災後の放射能漏れ問題]

私がどうしてこんなものを書くのか不思議に思う方もいらっしゃるだろうから最初に説明したい。今は人それぞれ震災のまっただ中で記憶も(悪い意味で)鮮やかだが、これが5年10年経ったらどうだろう。「あの時何が起きたか、何が大事だったか、自分は何を考えたか」すべての記憶は「時のオブラート」に包まれて曖昧になり、ただ怖かった、大変だったという感情だけが残るかもしれない。それでは教訓にならない。だから私は5年後、10年後の自分のためにこれを書き残す。

今までに書き漏らしたことはたくさんある。悪いことの代表は、大地震後の津波が桁外れに大きかったことだ。東北の被災地の惨状は10年後でも映像が残っているだろう。テレビには、戦後の焼け野原というのはこんなだったのかと思うような全てが流されて瓦礫以外何もない現場も映された。家が何キロも流されたそうだ。後にせめて思い出の品をと戻ってきた人が自宅の物を見つけるには、自宅から何キロも内陸を探さなければならなかったという報道があった。自家用車もみな当たり前に流されて、津波後にはまるで子供がおもちゃ箱をひっくり返したかのような、わけのわからない惨状になっていた。津波後の水面にたくさんの遺体が浮いているが近づけないという凄絶な報道もあった。住居を失ったたくさんの人々は避難所で、真冬に逆戻りと言われた氷点下の夜を過ごした。地震と津波そのもので無くなった方も多かったが、その時助かっても後の過酷な避難所生活の中で体調を崩し亡くなった方もいた。避難してきた人々のために、現在仮設住宅が建設中だ。

意外なところに復興の妨げがあった。瓦礫といえど、それは個人の思い出の詰まった所有物だったり、あるいは流されてひっくり返った自家用車はまだ使えそうだったりして、その正当な所有者としては安易に失いたくない。行政も安易に撤去・取り壊しできない。

次に良いことだ。震災後すぐに全国から援助の手が差し伸べられた。これは同情からだけでなく、さらに様々な事情があるようだ。たとえば阪神淡路大震災の時に援助してもらった人々がその時の思いを忘れず、今度は恩返ししたいと願って行動を起こしたということもあるそうだ。私は、その全国からの援助の手があまりに大きかったことに驚いた。私が知っている「人間」というのは、もっと自分勝手な生き物だったはずだが。その全国の人々の思いはあまりに強く、それゆえに時には空回りして効率的に力を発揮できなかった。一度にたくさんの物資が送られてきたが種類によっては使いきれずに残念ながら処分するしかなかったり、一度にたくさんの献血が寄せられても血液は長期保存できないので一部が無駄になり、しかも一度献血するとすぐに再びは献血できないので後日が心配されたり、援助のために被災地まで車を飛ばしたがガソリン不足もあって帰れなくなったり。我々は、「どうしたら自分の善意が効率的に相手に届くか」を考えることになった。

良いことは数えてみればたくさんある。すぐにメモしなかったので細部は忘れてしまったが、津波からずいぶん経ってから、ひっくり返って流された家の中で、おばあちゃんと孫が奇跡の救出を得た。冷蔵庫にあったヨーグルト等が命をつないだという。孫は低体温症になりながらもおばあちゃんを守ってがんばったという。

現在、東北で被災し家と職を失った避難民のために、たとえば埼玉県など遠く離れた地で受け入れ態勢が整いつつある。これも実に立派なことだ。日本人は、実は誇れる立派な人間だった。私のイメージにあった自分勝手な人間とはまったく違う。

この記事の最後に、震災復興の中で唯一「最悪」「汚点」「こりゃだめだ」というものを書かなければならない。すでに「暴れ馬」とまで形容された福島第1原発の放射能漏れだ。そもそも電気を復旧して原子炉にふたたび水を循環させて核燃料を冷やそうという根本的な試みが始まったのが、津波からずいぶん経ってからだった。それをするためには東京電力は東北電力から電気を引っぱってこなきゃならないから実現までに色々あったと予想できるが、事はあまりに重大なのだ。この電気をようやく中央制御室まで引くことに成功。ところが新たな問題に直面。原子炉建屋の横にタービン建屋というのがある。そこに高い放射能を含む水が溜まっていた。それを取り除かないと先の作業へ行けない。いつになったら水は循環するのか?ノロノロしていても原子炉は大丈夫なのか?

素人は今まで、原子炉ってのは止めれば安全だと思っていた。でも今回みんな知った。原子炉ってのは止まっていても危なかったんだ。今回の大地震のさい、すべての原子炉は制御棒が挿入されて運転停止した。しかし大津波で発電機が動かなくなった結果、原子炉や使用済み核燃料プールの水を循環させ冷やすことができなくなり、核燃料は高温になった。燃料の一部は溶けて、それに接した水が上記の「高い放射能を含む水」として発見されたと推測されている。

今回の大震災について外国の反応は、同情と援助の一面と、「うわー放射能、あっぶねー、エンガチョ!」の一面の2つがある。

大震災備忘録の続き テレビ [震災後の放射能漏れ問題]

今日は、震災直後とのテレビ放送の違いについて書き記しておきたい。大震災後しばらくの間は、当然ながらどのチャンネルも震災の報道を朝から晩までした。通常のドラマなどの番組はすべてなくなった。そしてコマーシャルはというと、AC一色になった。コマーシャルはスポンサーが提供するものだから、大震災により一時的にスポンサーが付かなくなったということか。そして放送可能だったACを朝から晩まで流すことになったのか。

私はACの存在は前から知っていた。メジャーな各局ではなく、ローカル局でCMが流れていた。しかしそれが、朝から晩までメジャーな各局で日がな一日流れることになろうとは、誰が予見できただろうか。もちろん私は震災直後の混乱の中で日がな一日テレビをつけていたのではない。むしろ少し後で計画停電も始まり、テレビはつけにくくなったのが現状だったが、でもテレビをつければ必ずAC。

エイシー。
エイシー。
エイシー。
エイシー。
エイシー。
エイシー。
エイシー。
エイシー。
エイシー。
エイシー。
日本国民みな耳にたこができた。そのうちにはCM最後のACと表示される場面でどのCMも「エイシー。」と言わなくなった。ひょっとして苦情が行って、何か考慮してくれたのだろうか。(これにたいしてラジオのほうは今でも「エイシー。」と言う。画面にACと出るテレビと違って、ラジオでは「エイシー。」と言わないと何のCMだかわからないから。)

この「AC耳たこ状態」の中で、日本国民はおそらく二派に分かれた。「ひたすらうっとうしい」と思う派と、「聞き飽きたはずなのに、あのCMが気に入ってしまった」という派と。

ウチの母は前者だ。とくに子宮頚がんのCMが嫌だという。この母は、普段は「どこの俳優がガンになった」とか「どこの俳優が死んだ」とか平気で話題にする人で、聞かされる私がウンザリしていた。その母もさすがに、テレビをつければいつでも
子宮頚がん
子宮頚がん
子宮頚がん
子宮頚がん
子宮頚がん
子宮頚がん
子宮頚がん
子宮頚がん
と聞かされるのは応えたらしい。しまいにはCMに出演している仁科氏に同情しはじめた。

いっぽう私は後者だ。「あいさつの魔法」というCMがある。名前までは知らなかったが、You Tubeを見てみたらUPされていた。初め私はこれを見て「絵が下手だ」と思った。「恥ずかしいほど下手だ。こんな下手な絵のCMをよく流せるな。」初めはそれだけだった。それが、繰り返し見せられるうちに、なんか気持ちが変わってきた。相変わらず絵は下手だと思っているが、他の思いが出てきた。

私は人付き合いが下手だ。相手が好意をもってくれていても打ち解けられず、現実社会で人間相互の思惑が一致するのが難しいのも知っている。人と人が深く接すると必ず衝突が起きるのも知っている。だからどうしたら良いか、それはわからない。ひとまず私は、人と人との単純な接触、つまり挨拶は、常に一生懸命している。それ以上は、怖くてしたくない時もある。人から傷つけられるからだけでなく、私自身が鬼になってしまうかもしれないから。(でも職場とは深く接触するしかないので、私は(私の少ない給料をさらに減らそうとする)職場では鬼として恐れられている。)

ずっと昔、子供のころにこんな経験があった。子供のころ私は世の中が怖かった。出る杭は打たれる。打たれれば痛い。心が痛い。だから出たくない。そんな時、「ゲーム」というものを知った。RPGだった。人生を怖がっていた私に、「ゲーム」は勇気をくれた。前に進めば敵が出るが、敵との戦闘も熱中できるじゃないか。敵を倒せば先へ行けるじゃないか。敵に負けてゲームオーバーになったら、もう一度やり直しだ。それまでの私は、人生のゲームオーバーが怖かった。でもゲームが教えてくれた。たとえゲームオーバーになっても、もう一度やり直せないなんて、誰が決めたんだ?そのうちにテレビで、「ゲームの世界にのめり込む子供が現実を認識できなくなって犯罪を犯す。ゲームはけしからん」と発言した大人がいた。引っ込み思案の私に「生きる勇気」をくれたゲームなのに。私は、「この大人は何もわかっていない」と思った。

この話が挨拶の話と何の関係があるのかは、少し説明しないとわからないだろう。「あいさつの魔法」というCMを思い出してほしい。「挨拶すれば楽しい仲間がポポポポ~ンと出てくる?世の中がそんなに単純なら苦労しないだろうが。」そう思う人は当たり前にいると思う。しかしそれでも、この歌には「意義」がある。今まで挨拶を気にしていなかった子供が、このCMを見て、「なんか面白そうだな、ちょっとやってみたら素敵なことが起こるかな」と思えるきっかけを作ってくれる。挨拶を気にしていなかっただけなら、まだいい。昔の私のように、世の中が怖い子供ならどうだろう。私はRPGという「ゲーム」を知って、「生きる勇気」をもらった。たかがゲームだったけど、それは私にとって「たかがゲーム」じゃなかった。この歌もそれと同じだ。それを聞く人によっては、人生で一歩前へ踏み出す力をくれることもあるんだ。

ところで、このCMには思いのほかバージョンが多い。You Tubeでも言われているとおり、フルバージョンにはなかなか行き当たらない。たとえば「マンボウ」はいったいどんな挨拶なのか?とか、ネズミが2匹出てくるがどうして1匹じゃないのか?とか、フルバージョンを見ないと解決できない問題(?)がある。そのせいで、計画停電で国民みんなが電気を節約しなきゃならないこんな時に、フルバージョン見たさについついテレビをつけてしまったという、ちょっとした皮肉も生じた。

おっと、今日は震災直後とのテレビ放送の違いについて書き記すはずだった。まだ現在のテレビ放送について書いていないし、違いも書いていない。違いは単純だ。普通のスポンサーによるCMが復活し、ACのCMが少なくなった。それに、震災の報道がきわめて少なくなった。民報では普通にドラマを放映し、NHKでは高校野球を「額縁」なしで放送している。それでは事態は改善したのか。事態が改善したのは震災のさまざまな局面のうち、「余震」だけだと思う。本震の後1週間以上「余震っていうのはこんなに続くものなのか?」と思いながら夜となく昼となく体験してきた地震が、ここ数日は明らかに少ない。震災後の復興は、被災地ですでに力強く始まっている。でもその道のりはこれからだ。そして何よりも福島原発。いまだにものすごい量の放射能が原発建屋から外へ出ている。それだけでない。報道によっては、ついに原子炉内の物質プルトニウムが外に漏れたとも書いている。人体に影響がないレベルだと言っているが、門外漢の私が注目したいのはそこではない。事態がいまだに深刻、いや原発関係に限れば震災直後よりもはるかに深刻なのに、報道はすごく減り、まるで当たり前の日常のようにテレビでドラマが放送されいる。放射能の情報を得ようと思っても、テレビをつけたからといってすぐにはわからない。NHKですら、すぐにはわからない。実は私はこれが一番怖い。

大震災の個人的メモ NO MORE FUKUSHIMA [震災後の放射能漏れ問題]

毎日いろいろなことがある。震災がなかったらただ過ぎていたであろう日が、今は記録しておきたいことでいっぱいだ。それなのに記事書きを何日もさぼってしまった。今日も個人的な備忘録ということでご容赦いただきたい。

大地震のその時、私は家の2階にいて「このボロ家は潰れるだろうか」と思いつつ家の中の大事なものを揺れから守っていたが、後で聞いたら近所の人々は急いで外へ飛び出したという。私は小さいころに、地震の時あわてて外へ飛び出すと危ないと聞かされたのだが。とはいえ外国でも、めったに地震がない国に珍しく地震が起きた時、人々は外へ飛び出したという記録が残っている。人間の心理なのだろう。私は親に、柱の近くにいろと言った。柱や梁は家屋を支える構造物だから、家の構造上もっともしっかりした部分で、柱が倒れる時は家も倒れる時、逆に言えば家が倒れない限りは柱と梁の近くがもっとも安全だからだ。

近所の人々は常日頃から、災害の時に持って逃げる物一式を用意していたようだ。防災ずきんをかぶって外へ出てきた人もいたそうだ。このへんは私は常日頃何も考えていなかったので、これを機会に考えるようにするべきだと思った。

我が家には複数のパソコンがある。私の生活はパソコンが不可欠で、それに加えてある時期親がパソコンを必要とし始めたので、必然的に2つになった。片方がNECの「厚みのないタワー型」で、もう片方が富士通のスタイリッシュな「液晶画面だけが土台から立ち上がっている」タイプだ。この液晶画面の裏側にPCの機械一式が収まっている。大きな画面をしっかり支えるために、スタイリッシュな円形の土台はそのサイズから想像できないほど重い。さて、これらのPCが大地震の揺れでどうなったか。なにしろ家の中の物が床に折り重なり、まるで解体工事中の家みたいな有様になるほどの揺れだった。

NECのほうは地震後も元のままに立っていた。薄いタワー型だから倒れても不思議でなかったが、揺れの方向が幸いした可能性がある。あと、基部に鉄板の羽根が付いていて横倒れしないようには出来ている。富士通のほうは、豪快にぶっ倒れた。いくぶん「無愛想」なNECのデザインと違い、富士通はデザインが洗練されているそのぶん、安定性は微妙に犠牲になっていた。もちろん、あんな大地震でもない限りは倒れることはない。さっき書いたとおりに基部はすごく重くできているから。で、もっとも気になるその後の動作だが、倒れなかったNECだけでなく、豪快にぶっ倒れた富士通もまるで何事もなかったかのように起動した。うーん富士通、強い。

家の中を元通りにするのに大地震翌日の昼までかかり、その後ようやく買物に出ると、すでにスーパーの中は人々の買い占めの後で何もなかった。その後、物不足は延々と続くことになった。大地震の影響をまともに受けた関東あたりでは人々のの間に一種のパニックが広がり、どこでも例外なく生活必需品の買い占めが起きたようだ。では被災地から遠く離れた地はどうかというと、親戚が電話で知らせてきた所ではそっちでも買い占めが起きて品不足になっているという。親戚は私たちのために物を送ってやろうとして買物に出てくれた。被災地から遠く離れた地での買占めは、そういう事情かもしれない。とにかく日本国中で品不足となった。そのうちテレビでは、買い占めをしなくても品物はあります、買い占めないでくださいと言った。ところが現実には、商品が生産されてもそれを運輸する交通手段が整わず、ガソリンが不足し、何日経ってもスーパーの棚は品薄だった。私の家は親戚が物を送ってくれたから凌げているが、そうでなければ他人に物を買い占められて今頃はひもじい思いをしている。結局買い占め派が正しかったのか?と考えてしまう現実だ。

さて、品薄とはいえスーパーにも少しずつ商品が見られるようになってきた。子供や赤ん坊を連れて買物に来ているお母さんがいるが、そういう子供や赤ん坊の無邪気な姿を目にすると、この非日常化してしまった社会も必ずや元通りになる、大丈夫だという気になってくる。そんな所へ次なる悪いニュースが入った。福島原発事故の影響で、一部地域の農作物や牛乳に放射能が検出された。いずれも、短期間摂取して影響が出るレベルではないというが、それは言い換えれば長期間摂取したら影響が出るということでもある。それなら原発事故の放射能漏れが絶対に長期間になってもらっては困る。このニュースに続いてさらなるとんでもないニュースがあった。事故があった福島原発から遠く離れた東京都の飲み水から、放射能が検出されたそうだ。上空に溜まっていた放射能が雨と共に降り注いだ結果と思われる。

震災の直接の被害、そこから派生した買い占め等の問題、これらがようやく「改善の方向へと向くか」という時に、人々の希望を削ぐ放射能ショックだ。もはや日本のテレビのCMで「原子力は安全です」などと言われることは二度とないだろう。もしもそんなCMが今後放送されたら、日本の全国民は「嘘つき!」と叫ぶだろう。

NO MORE FUKUSHIMA
福島原発事故を二度と繰り返すな

自衛隊員に感謝したい [震災後の放射能漏れ問題]

自衛隊がヘリコプターでの水投下を開始した。国の有事(戦争関係とは限らない)には真っ先に動いてくれるのが自衛隊員の任務や仕事ではあるが、だがしかし、誰だって制御しきれていない原子炉の近くになんか進んで行きたくはない。人の子であることは自衛隊員も私たちと同じなのだから。そんな中で勇気を奮い起して現地へ行ってくれる隊員たちに今こそ感謝したい。

いっぽう電力会社のほうは原子炉冷却装置への電力供給の方策を模索し始めているという。頼む、ぜひとも早く。

計画停電 [震災後の放射能漏れ問題]

東京電力の計画停電、自分の住んでる場所が何番のエリアかがわからない。調べたら複数の可能性があって、きっとそれのどれかなんだろう。毎日朝、何番のエリアが何時からか調べて、それも複数の可能性があるからそれのどれかだ。この何時からかが毎日変わる。自分の場所が停電になりそうな時間が近づいたら停電と断水の準備だ。時間になるまで気にして、時間が過ぎても暫く気にして、今回は停電がなかったと知る。その間、もちろん家事等はできない。これを続けるうちになんか精神的に疲れた。被災地で本当に苦しんでいる人々の前では疲れたなんて言えないが、しかし正直なところ、毎日福島第一原発の状態を気にするのも停電・断水時間を気にするのも、初めのうちはピリピリしながらやっていたがもう感覚が麻痺してきて・・・。それでも、ある番号のエリアが停電になる時間が近づくと、万一そのエリアが該当したらいかんとパソコン等の電気は切る。だから今も切るところだ。(そもそもパソコンつけている時間なんて必要最小限になってしまった。)非常事態だから仕方ないのだが、このエリア番号、もっとわかりやすい形にはならないものだろうか。

セシウム [震災後の放射能漏れ問題]

すでに多くの人がセシウムについて気にしていると思う。私としては、昨日テレビを見ていてとても気になった情報を併せて書いておきたい。



「セシウム」について、日本語ウィキペディアから引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0

↓引用ここから

人工的に作られる(ウランの核分裂により生ずる)セシウム137は、半減期30.07年の放射性元素である。医療用の放射線源に使われるが、体内に入るとカリウムと置き換わり、体内被曝の原因となるため大変危険である。1987年には、ブラジルのゴイアニアで廃病院からセシウム137が盗難された上、光るセシウム137に魔力を感じた住民が体に塗ったり飲んだりしたことで250人が被曝、4人が死亡する大規模な被曝事件が発生している(ゴイアニア被曝事故)。

↑引用ここまで




今回、日本人がセシウムを「体に塗ったり飲んだり」することはありえないので、上記引用と同様の事態は起こりえないと言えるだろうが、慎重な対処は必要だろう。

昨日のテレビに出演していた識者が、放射性物質を体内に取り込んだ場合には、それが放射線を出し続けると言っていた。つまり、1時間あたりの放射線量が規定値以内だとしても、それを長年体内から放出された場合のことも含めて「記者会見での発言」どおりに安心していいのか、と私は気にする。誰にとっても他人事ではない。テレビやラジオの情報の中に時々風向きの事が出てくるのが何故か、わからない人はいないだろう。上記の識者は、放射性物質を体内に入れてしまった場合の対処法もあることはあるがきわめて深刻な事態だという意味のことを言っていた。録画していなかったので正確な言葉を伝えられなくてすまない。

地震翌日 [震災後の放射能漏れ問題]

今日は大地震の翌日だ。被害の甚大な地域では、いまでも周囲から隔離されて助けを求めている方々がいるそうだ。亡くなってしまった方もいる。私はあんな大きな地震を生まれて初めて体験した。初めはいつもの通りの地震かなと思ったが、すぐに揺れがそれどころではなくなった。家屋全体が右へ左へと人力を超えたパワーで動かされるのを体験して、地震のエネルギーの大きさを知った。これはひょっとするとこのボロ家は倒れるかもしれないと思った。結果的には家屋自体は地震の後も立っていた。このボロ家、よく耐えた。家の中は、まるで解体工事中の家屋のように床一面に物が折り重なって散らばった。人形ケースやグラスは落ちて割れた。本は本棚から飛び出して散らばった。昨日の大地震後と今日の午前中は、ひたすら室内の片付けをしていた。今日はその時に気づいたことを手短に書きたい。残念ながらこの後買い出しに行かねばならないので、手短にだ。戸棚や天袋など家じゅうの場所をチェックしつつ片づけていたら、ある場所は中身がぐちゃぐちゃだったり飛び出たりとひどい有様なのに、別のある場所はまったく被害がなく何も動いていないのに気づいた。そんなことが、あるのだ。理由を書いてしまえば「なあんだ」と言われるだろうが、あの大地震で方や大被害、方や被害なしというのが個人的にとても印象的で書き留めておきたくなった。その理由というのは、被害がなかったのは、中に物をぎっしり詰め込んでいた場所だ。天袋にしても戸棚にしても、そういう場所は被害なしだった。ぎっしり詰めてあるから動かない飛び出さないのは当たり前と言われればその通りだが。隙間が空いていて格好よく物を置いていた棚はめちゃくちゃだ。すまん、この後すぐ飯食って買い出しなので、今日はここまでだ。
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