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第四の生き甲斐を探します234 退職と唐揚丼 [手記さまざま6]

私の退職は、何の因果か唐揚丼に縁がある。

一度目の退職は、リストラだった。大学冬の時代と呼ばれた少子化で、三流音大は入学希望者が大幅に定員割れし、支出削減で私に白羽の矢が立った。私はその職場に長年勤めていたが、ずっと後から入ってきた教員のほうが、当時の流行だった国際化をアピールできるネイティブだという理由で居残った。イタリア語の教員が個人の事情で依願退職した。私は辞めたくないのに自分から辞める人もいる。何と恵まれた人だろう。それなら代わりに私を雇い続けてほしいと思ったが、支出削減だというのに学校は新しいイタリア語教員を雇った。そして私の解雇理由が私の能力不足でも落ち度でもなく、定員割れだというのだから、やりきれなかった。

リストラ前の一年間は、当たり前だが居心地が悪かった。授業も一コマだけとなった。最後の授業を終えて帰る時、校門前で一人の女子学生に出会った。彼女は「来年度は先生の授業を取るからね」と言った。まさか「リストラで辞めさせられるから来年度はいないよ」と本当のことを言うわけにゆかず、私は「ありがとう」と言って別れた。それを今も忘れられないでいる。

そういうリストラ前の一年間にも、私の楽しみはあった。学食にミニ唐揚丼というメニューがあり、それを注文して食べるのが毎回の楽しみだった。

二度目の退職は、今回だ。今回については、今までの記事に書いたので改めて書く必要はない。この大学にも私は長年勤め、学食にも長年お世話になった。長い年月の間に学食はずいぶん変わった。羽振りの良い時代には、スペシャルメニューとしてステーキが登場した。でもそれはやがて消えた。その後、定期的にテーマが変わり、例えば全国ラーメン対決のように魅力的な企画が次々に現れた。その時に巷で流行っていた料理を取り上げることもあり、私が油淋鶏やジャークチキンを知ったのはそのお陰だ。やがて新型コロナによるリモートの二年間が到来。それが過ぎてまた登校すると、学食は様変わりしていた。なぜか私の食指が動くメニューが出なくなった。常設メニューのランチは、はっきり言って不味い。教員は喋る職業だから、匂いのきついカレーと味噌ラーメンは除外。醤油ラーメンはスープに安物の粉末コショウを沢山入れている。残ったメニューは二つ。塩ラーメンと唐揚丼。塩ラーメンを大盛りにすると量は十分で安上がりだが、薄っぺらいチャーシュー一枚の他は炭水化物ばかりだから、授業をしていて腹に力が入らない。最後に残った唐揚丼、私はこれにハマった。毎回食べても食べ飽きない。

多くの方は唐揚丼と書くだけでイメージが沸くと思うが、念のために説明すると、器にご飯を盛り、鶏の唐揚げをミニ丼なら三つ、ミニでなければ四つ載せる。その上にタレをかけるが、学食によってはかけるのでなく唐揚げをタレに浸してからご飯に載せる。私の推しは、唐揚げをタレに浸すほうだ。なぜならば、かける場合はタレの分量が給仕の人に委ねられ、いい加減なおばさんが急いでやるとタレの少ない悲しい唐揚丼を食べさせられる羽目になるからだ。唐揚げの上に刻み海苔を載せる。実は刻み海苔も学食による優劣がある。海苔の量ではなく、載せ方だ。丼の真ん中にまとめて載せられると、後からタレをかけた時に全部の海苔がくっついて団子になり、まとめて一口で食べる羽目になり、その後は海苔なしだ。海苔の次は温玉をひとつ載せる。温玉を別小鉢で出す学食もある。最後にマヨネーズをかける。マヨネーズは専用の細く出る容器でかけるが、給仕のおばさんがハズレだと丼の片側にどちゃっとマヨネーズが出て他の所はマヨネーズなしということもある。

唐揚丼とは、こんなに長文で解説するほど奥の深い食べ物なのだ。

そろそろ、この文章のまとめに入ろう。私は今、感慨深い。私の二度の退職が、偶然にもどちらも唐揚丼で締め括られるからだ。どちらの退職前にも職場との関係は悪く、辛い思いをしたが、どちらの職場も唐揚丼は美味しかった。