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古い私が今どきの志向とどう違うかがわかりました [手記さまざま5]

つい先日、古い人間である自分と今どきの若者の趣味志向(嗜好ではなく志向です)の違いがわかった気がします。それは畢竟、私がユーチューバーになれないし、なりたくもないということと同義でした。

事の起こりは、ネットでよく聞くソシャゲという言葉の意味を調べたことでした。ソシャゲがSNSでプレイするゲームで、無料でスタートするが好結果を得るには課金が必要で、成績がランキング化されるということもわかりましたが、いま注目したいのは別のことです。ソシャゲは短時間で手軽にプレイできるゲームで、生活の隙間時間でプレイできるそうです。これを知った時私は、ゲームが自分の若い頃とはずいぶん変わったのだと気づきました。昔は、ゲームというとひと区切りプレイするにもまとまった時間が必要で、コンプリートするには何日何十日かかるかわかりませんでした。価格の高騰と共にゲーム規模の巨大化があり、規模の大きなゲームは、疲れました。それが今は「小ピース化」だそうです。私はその時は「小ピース化もまた良いことだ」と思うだけでした。

それから何日か経ち、私はテレビで何だコレミステリーという番組を見ていました。すると、TikTokで歌を投稿しようとしていたら天井が割れて人の腕が出てきたというのがあり、その事故のおかげで投稿にものすごい数のアクセスがあったそうです。その時私は次のように思いました。「たしかにすごい映像だが、私ならわざわざ見に行かないな。私はもっと大事なこと、『第四の生き甲斐を探す』ことのために時間を使わなきゃならないのだから、こんな一時の興味に使う時間はない。」そう思った直後、私はハッとしました。そうか、これが私がユーチューバーに興味を示さない理由であり、ひいては私のブログ記事にアクセスがない理由でもあるんだ、と。

私はこのTikTokとソシャゲの特徴に共通点を見出しました。生活の隙間時間で楽しむ、小ピース化という共通点です。YouTubeも同じだと思います。いっぽう私は古い人間なので、趣味の持ち方も昔のゲームの特徴に似ています。腰を据えてひとつずつ攻略し、その成果を積み重ねて、いつか大きな目的をコンプリートする。「第四の生き甲斐探し」も同様です。今はひとつひとつのブログ記事で模索を積み重ねる段階ですが、いつかそこから大事な「第四の生き甲斐」を見つけ出す。「久遠」の時を使って大作を創るのです。そういう私にとって、その時楽しくても明日は忘れる「刹那」的な創作物は、つい見下げる傾向があります。以前にテレビで有名なユーチューバーさんの動画が紹介されたことがあり、私はその方のやっている努力はすごいと思いましたし、自分には真似ができないとも思いましたが、同時に自分はやりたくもないと思いました。

古い人間である私が若者のように変わるのは、無理だと思います。私は私として、人々の関心とは別の場所で人生を進めてゆくしかないでしょう。ただ、その事情を今回知ることができたのは収穫でした。

あと、世の中が刹那的だとわかったのだから、これからの自分のブログ記事を少し変えるのは、記事を作る私のためにも記事を読んでくださるあなたのためにも良いに違いない、と思いました。ご覧の通り、私の記事は文章が長いんですよね。これを何とか、ツイッターみたいな短文にできたら、書く私も読むあなたも楽なのだろうな、という発見です。