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第四の生き甲斐を探します232 終わりはいつもそうなのかもしれない [手記さまざま6]

世の中には時勢というものがあり、ひとつの物事には始まりと終わりがある。いつも絶頂期と同じはずがなく、終わる時はふつう衰退している。終わる時、つい絶頂期と比較して、こんなはずがないと思ってしまうかもしれない。でも、終わりはいつもそうなのかもしれない。

私は電車で長距離通勤をしてきた。若い頃は無謀で、前日に酒を飲んで腹を壊して通勤した時さえあった。そんなに無謀でも若さゆえか元気だった。行く手に立ち塞がる困難を、それは時に通勤途中の便意も含めて、若さで乗り切ってきた。

長距離通勤ならではの、旅行のように移り変わる車窓は楽しかった。都心を通過する時の通勤混雑は別として、新宿から地方へと向かう車窓の風景はいつも風情があった。

ところが今は、なぜかそうは行かない。若い頃のような無謀は全くしない代わりに、電車のシートに座ったら目を閉じている。それは眼医者に「白内障レベル1です。まだ薬は要りませんが、紫外線に気を付けてください」と言われたのがきっかけだ。目を開けた時に見える車窓の風景は今でも風情があると感じるが、若い頃の旅行のようなワクワク感はどこかへ行ってしまった。

大学の授業は、さらに劇的に変わった。私は授業に全力を出して疲れきる代わりに、教え子のためにベストを尽くしたと感じて帰りの電車内では満足して眠りに落ちたものだった。教え子はいつでも私の救いだった。

ところが今は、ほんの少数の学生のせいで人生が辛くなっている。毎日つい口から出る言葉は「今日もひどい一日だった」だ。授業で体が疲れるのは前からだが、今は心も疲れているので、授業を続けられなくなる。予定よりも早く終わってもそれ以上続けられないからどうしようもない。ほんの少数の学生のせいで、その他の真面目な学生のために良い授業をしてやれないのが辛い。

私は、こんなはずがないと思う。教え子は私の救いだったはず。どうして苦しめられている?

でもこれはきっと、時勢というものだ。私の衰退に際して、周囲が変化している。私には今までの人生で経験があるが、類は友を呼ぶ。人から傷つけられて私の気が狂った時は、駅のホームで気の狂った人物に出会った。私の心が治ると、それまでが嘘のように出会わなくなった。今は、私が駄目になったので、駄目な学生に出会うようになったのだろう。転居をきっかけとして、私は退職しなければならないほど衰退した。だから私の周囲がそれに見合った変化を起こしたのだ。

白鵬のような横綱でさえ、引退する時は衰退している。いや、衰退したから引退しなければならない。その時に絶頂期を思い出して「こんなはずがない」と思っても仕方がない。物事の終わりはいつもそうなのかもしれない。