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第四の生き甲斐を探します75 私の理解が追いつかない法律により、またも振り出しに [手記さまざま5]

この記事は、ひとつ前の記事と同じ日、それも数時間しか経たないうちに書くことになった、とても残念な報告です。

ひとつ前の記事で、私は第四の生き甲斐候補が明確に現れて嬉しいと書きました。その生き甲斐とは、まだ日本語字幕が存在しない思い出の映画に日本語字幕を付ける努力をし続けるというものでした。私は早速、その実現に向けてネット検索を始めました。そうしたら、とんでもない情報が見つかりました。まだ日本語字幕が存在しない映画に日本語字幕を作りネット上にUPした人が捕まったという情報です。

それを読んだ時、私は理解できませんでした。映画を無断でUPしたら捕まる。これは当然わかります。音声だけUPしても捕まる。それが現在売られている商品の音声ならば権利者から訴えられるでしょう。でも捕まった人がUPしたのは映画そのものでも音声でもありません。自分で日本語に訳した結果をUPしたのです。その翻訳は誰に著作権があるか。私には、努力して訳した人に権利があると思えます。でもその人は捕まりました。

法律や条例に「なぜ?」は意味がありません。それを納得できても、できなくても、違反した人が違反者となる。つまりこの場合、私の第四の生き甲斐候補(日本語字幕作りの努力)が法律により制限されたという厳然たる事実だけが存在します。

あなたは次のように思うかもしれません。ネット上にUPしたら捕まるのであって、私が一人で誰にも知られずに黙々と字幕を作るだけならば捕まらないよ、と。たしかにその場合、捕まりません。でも、私はただ一人、誰にも知られずに生きてゆかなければなりません。人生って、そういうものではないはずです。「今日こんなことがあったよ」「今日は頑張ったよ」「今日は立派な人に出会って素敵だと思ったよ」と、常に人々に向けて発信し続けるのが人生ではないでしょうか。あまりに孤独な生き甲斐というのは、そもそも生き甲斐になりうるのでしょうか。