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刀鍛冶の里編になぜ違和感を覚えるか、わかった気がします [手記さまざま5]

以前の記事に書きましたが、ネット検索したらアニメ鬼滅の刃 刀鍛冶の里編のテンポが微妙に遅いという感想があって、私も最近の回になって同様の感覚を覚えるようになりました。その原因が、わかった気がします。

刀鍛冶の里編は、人物の行動に分岐が多すぎると思うのです。ただしそれは最近の回のことです。最初のうちは、そうではなかった。炭治郎が刀鍛冶の里へ来て、そこで甘露寺蜜璃と出会って鼻血を噴き出し、不死川玄弥と出会って彼の歯を拾い、悪意が全然ないのになぜかムカつくことを言う時透無一郎と出会い、限度というものを知らない小鉄と出会って死にそうになりながら特訓し、300年以上前の刀が出て来る。ここまで、実に良かった。その後からなんです、私がどうも違和感を覚え始めたのは。

この時点で甘露寺は別行動だから、まず人物の行動は2つに分岐しました。私は半天狗の話にのめり込みながらも、心のどこかで「甘露寺蜜璃が早くまた出てこないかなあ」と思っていました。つまり、アニメで甘露寺が出てこなくても視聴者の頭の中には甘露寺がいて、話は2つに分岐していたんです。

その後、半天狗の分身に吹き飛ばされて時透が別行動に。後に小鉄と合流します。アニメではこれで話が2つに分岐したのでしょうが、さっき書いたように視聴者の頭の中ではすでに2つに分岐しているから、これで3つに分岐したことになります。

それから炭治郎は禰豆子たちから離されて一人闘うことになります。これで4つに分岐しました。

物語が2つくらいに分岐するのは、小説の手法として常套手段です。一本道の話だと退屈になりますから。でも4分岐はいけません。視聴者の頭は4つの人物行動を把握はしているけど、集中できなくなります。それに、アニメの動画自体は普通に動いて進んでも、特定の人物行動を頭の中で追っている視聴者にとっては、たとえば甘露寺は時々顔を出すけどなかなか本格的な活躍が来ない、という感覚になってきます。私が感じる違和感は、これです。

人物行動を分岐しすぎたせいで、それらを順に描写すると時間がかかり、個々の人物行動にスピード感がなくなった。