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人生最後の旅行は京都墓参 (1) [手記さまざま2]

時の流れは人を変えてしまう。若い頃の私は、祖先を敬うことを楽しみとし、そのための祭祀を楽しみとし、水木しげるみたいに目に見えない世界を信じていた。それに、ただ生活しているだけでも学校のサークル活動で関東から毎年関西へ行く機会があった。関西へ行くたびに、私はわざわざ帰りに途中下車して、京都にある祖父の墓に行った。祖父は父がまだ子供の頃に亡くなったので、私は写真でしか知らない。でも若い頃の私にとって祖父は、目に見えない世界の偉い人だった。私の部屋には自作の祭壇があり、その上には祖父の写真があり、私は毎晩お経を唱える。

時が過ぎた。私の人生は悪くなかったと思う。それでも色々なことがあった。私は、世の中には職場からリストラされる不幸な人たちがいるのは知っていたが、自分がリストラされるとは思わなかった。私は社会の役に立とうと頑張っていたが、学校法人という職場は私が何をしても、どういう人間でも、まったく無関心だった。私が良いことをしても何も変わらず、悪いことをしても何も変わらず、私の功罪とは何の関係もなく雇えなくなったという通知を受けた。私は、社会が私を見てくれず、自分を必要としていないことを知った。そして心を病んだ。心と体はつながっているのだろうか、心を病んで暮らすうちに、体の不調も増えた。長く立っていることができず、長く歩くこともできない。だから金がなくて外出できないだけでなく、足がまともに動かないから外出できない。自宅から最寄りの駅までなら何とか歩ける。時々立ち止まりながら。そうやって最近は暮らしている。

今の私にはもう旅行などというものは無縁だ。それでも、生きているうちにあと1回だけ旅をしなければならない。私はもう長い間、京都の墓参に行っていない。このままでは二度と行かずに終わる。でもそれはいけない。せめてあと1度、私は行かなくては。楽しむための旅行にはもう興味はない。ただ墓参だけは、絶対にしたい。

私は今日、思い立った。来週の月曜日に京都へ墓参に行く。うまく歩けないからとか、金が貯まらないからとか、理屈を付けてしまうと行かないで終わる。人生は、一歩踏み出すことだ。この記事は個人的な内容だから人様の興味をひかないと思う。でも私の大事な人生を前向きに一歩踏み出す記録だから、今後も続く。アクセス件数がどうであろうと断然続く。