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昔の漫画本を捨てる(66) [  昔の本(補完計画)]

JOJOを片っ端から捨ててゆく、その1回目です。

あなたはJOJOにどれくらい、のめり込みましたか。私は心底のめり込んだみたいですよ。それから長年の人生でいろんなことがあったから、感動とか思い入れとか、そういう「心」の部分は人生の巨大な荒波が流し去ってしまいましたが、私にはJOJOにのめり込んだという「物的証拠」があるんです。それは、バックパッカーとして1か月間ヨーロッパで撮ってきたビデオカメラ撮影です。1か月もヨーロッパにいると何十万円もかかるから、行きたい時に気楽に行けません。たとえ後年に複数回行っても、各地に興味があったら同じ場所に2度行く余裕はない。その時その時が貴重な瞬間なのです。それがJOJOと何の関係があるかって?それはこうです。私は貴重な瞬間を少しでも保存しようとビデオカメラを持って行き、至る所で撮影しました。絶対に失敗できない一度きりの撮影!その時私の頭に無意識に浮かんだのは大好きなJOJOの教訓でした。手のひら全体で吸いつくんじゃない。指先だけで、一見離れそうに見えてもそこから波紋が効率的に放出されて吸いつく!私はビデオカメラを指先だけで支え、全神経を集中して念じました。波紋!その結果、ヨーロッパでのすべてのビデオ撮影は、まるで大地震の中で撮影したみたいに震えた映像になってしまいました。同じビデオカメラを現地の人に渡して撮ってもらった部分は全然震えてない。私はずっと不思議でした。どうして私が撮ると震えるんだろう。全力で波紋を注入しているのに。それから何年も経って、偶然にテレビのシニア向け教育番組でカメラ撮影のしかたをやっていました。ある人はカメラの両側に接続したベルトを首にかけ、カメラを自分の前に突き出して、ベルトがピンと張るようにして撮影していました。はっはっは!変なことしてらぁ。こいつは素人だな。と私は思いました。ところが番組の中で褒めてもらったのは、その人でした。そうやるとカメラが動かないから、と。嘘だ。そんなの嘘だ。カメラを動かないようにするには指先だけでカメラを支えるんだ。私は信じませんでした。・・・人間の指先が三脚のように物をしっかり支えることはできないと私が認識し納得したのは、さらに後年のことでした。みなさん、JOJOはすごく面白い漫画ですが、あくまでもフィクションですから、現実社会にJOJOを応用しようと思った時には気をつけましょうね。



私が買った単行本は第3部までです。その後もジョジョはずっと続きますが、ひとりの人間が漫画にのめり込む時期は、どうしても限られてしまうのです。

第1巻から第5巻の真ん中までが第一部。主人公はジョナサン・ジョースター。舞台は19世紀末のイギリス。敵は石仮面によって化け物となったディオ。ジョナサンの力は波紋です。

第5巻の真ん中から第12巻の最後のほうまでが第二部。主人公はジョナサンの孫ジョセフ。舞台はアメリカ、メキシコ、イタリア、そしてスイス。敵は究極生物"柱の男"であるエシディシ、ワムウ、カーズ。ジョセフの力は波紋です。

第12巻の最後から第28巻までが第三部。主人公はジョセフの孫、空条承太郎。舞台は日本からエジプトへの旅。敵は復活したディオとその手下たち。承太郎の力は幽波紋(スタンド)です。



それでは、長い長いJOJOの第3部までを、最初から少しずつ見てゆきます。

第1巻。「ジョジョ」シリーズのそもそもの始まりは、後のエンターテインメント性の高い作風とはまるで違います。主人公のジョナサンがディオにいじめや嫌がらせを受けます。その嫌がらせはエスカレートして悪魔的な行為に及び、恋人との仲を引き裂かれ、愛犬を焼き殺され、ついには父親を毒殺されそうになります。読んだ時の感じとしては、昔の少女漫画や少女アニメ、そしておそらくある種の小説にもよくあったであろう、主人公がいじめや迫害の中で強く生きてゆくストーリーに似た、悲惨さと重苦しさを感じます。ただし主人公が少女のそれらと違って、ジョナサンはいじめにいつまでもひたすら耐えるのではなく、ある時点からそれに抗い、守るべきもののために反撃を開始します。第1巻は、父親に盛られた毒の解毒剤を探しに危ない地区に足を踏み入れる所までです。石仮面は冒頭から出てきますが、まだ波紋は出てきません。カバーの袖には、荒木飛呂彦先生からのメッセージが書かれています。「はっきり言うと、この作品のテーマはありふれたテーマ---『生きること』です。対照的なふたりの主人公を通して、ふたつの生き方を見つめたいと思います。『人間』と『人間以外のもの』との闘いを通して、人間賛歌をうたっていきたいと思います。」と書かれています。「ジョジョ」の執筆が始まった時点では、荒木先生はこのように考えていたんですね。このシリーズはとても長く続くので、第二部、第三部と進むうちに荒木先生が作品に込めるものも変化していったとは思いますが。雑誌連載開始は、昭和62年1・2号からです。第1巻はまだ波紋が出てきませんし、ストーリーがとても重苦しいので、画像はなしとします。

この続きは、また後日。今までと違って私の自由時間が少なくなりそうなので、この続きが何日後にUPできるかは、わかりません。
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