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昔のマンガ本を捨てる(18) [  昔の本(補完計画)]

本気で悩みだした。捨てるべき本は、本当はどれだったのか。

椎名百貨店を1冊撮影し、若いころの感動とは違い感動が薄かった私は、とにかくどんどん撮影してゆこうと思った。どんどん撮影して捨てるのだから、GS美神も出しておかなければ。上にかけてあるビニール袋を掃除機で吸い、高い所にあった本の塊を降ろそうとしたらGS美神が怒涛のように落ちてきたという小さなハプニングはあったものの、GS美神は見られるようになった。さっそく私は全巻捨てるべきGS美神の第1巻を読んでみた。そして愕然とした。おもしろい!どういうことだ。1年前から処分確定でビニール袋に詰められていた本なのに。

ずっと大切に仕舞ってきた少女マンガにたいして「作業疲れ」という言葉を漏らしたり、確実に保存予定だった椎名百貨店が「ハ!」になったり、処分予定でビニール袋に詰めていたGS美神がおもしろかったり。私は、ちょっと立ち止まって考えなきゃいけないと思った。

運命は私を翻弄しているのか?年をとって私の中の価値基準が変わったのか?いや、原因や理由の類はどうでもいい。とにかくこれでは、捨てるべき本がどれなのか不安で決められない。いま不要だと思っても、未来の自分には必要かもしれない。まるで「怪獣えかきうたソノシート」がそういう結果になったように。最初に記事にした「みんなおてんき」は、すでに捨ててしまったぞ。記事を終えた「南国アイスホッケー部」は捨てるものとしてまとめて置いてある。私は本当にこのまま捨てていっても良いのか。



それから時が過ぎた。私は考えをまとめた。どの本を捨てるべきか、捨てないほうがいいかはすぐに決められなくなったが、今回の記事の目的はマンガ本を捨てるだけではない。撮影の作業に打ち込んで心の重荷を軽くしようという別の目的は厳然として存在する。毎朝、早く目が覚める。まだ寒いので布団の中にいたいと思うが、布団の中でじっとしていると嫌なことばかり考える。だから起き上がり、まだ暗いうちから活動を開始する。私はまだ、撮影を続けなければならない。

忘れないうちに書いておきたいことがある。中身のページの写真を撮って保存するというのに、どうして私がその本を捨てたがらないのか。本の写真を撮ったことのある方なら何となくわかると思うのだが、それは本をありのままに保存することがほとんど不可能だからだ。だから、とくに好きな本は捨てられなくなる。私がずっと好きだった本、萩岩睦美「悪魔という名の天使」を例にとって説明する。

フラットベッドスキャナを使ってさえ、本のページは歪む。ましてデジカメだと相当に歪む。見開き2ページを一度に撮影する場合、下のような歪み方
devil1.jpg
は当たり前で、もっとひどく歪むこともざらにある。どうしてだろう。閉じしろ付近にネームがある場合、そこを何とか読めるように撮ろうとすると、ずっと斜めの方向から撮るしかないから。でもそうすると絵が歪む。だから私はページによって、ネームを読みたいのか絵を大事にしたいのかを考えてカメラの場所を変えている。絵か、ネームか、どちらかが犠牲になる。本が閉じしろ付近まで印刷されている以上、本を本の形状のままでネームも絵も歪まずに保存するのは無理だ。ページを切り離して撮影するなりスキャンするなりというのがたぶん唯一の解決策だろう。見開き2ページを一度に撮るのでなく、1ページずつ撮れば、歪みはかなり軽減される。どうして私がそうしないのか。それは手元にある本が200冊近いからだ。もしも「うしとら」や「ダイの大冒険」も撮影するなら、200冊どころではない。仮に1冊100ページとして、見開き2ページを一度に撮っても全部で1万回レリーズボタンを押さなければならない。カメラが壊れるのが先か、私の体が壊れるのが先かという感じだ。1ページずつってのは無理だ。それに、閉じしろ付近が平らになるようにするには、本の片側のページを立てて保持しなければ。そうしておいてカメラもしっかり固定して撮る。たった2つの手ではどうして良いかわからない。腕が4本は欲しい。あるいは、固定のための専用の道具が必要だ。

もうひとつ、デジカメは撮影ごとに色合いが変わるかもしれない。これはスキャナでもありうる。上の画像と下の画像
devil2.jpg
を比べるとわかるが、1冊の本でもページによって色が変わってしまう。ところで神様、お連れになっているお犬さまは、どのようなお方で・・・?

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