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レコード音声のデジタル化 個人的記録 (1) [  レコード(補完計画)]

今日は雨だ。私は個人的な理由から雨の日はレコードのデジタル化ができない。それで、久しぶりに記事を書く暇ができた。

前回のレコード関係の記事は、第1回デジタル化の日だ。あれから私は毎日忙しかった。レコードを扱う時間帯が私の思考の中心にあり、それ以外の生活とのネゴシエーション(後述)が大事だった。でも今は、話を最初から順に記そう。

私はレコードを扱う時間帯を夜と決めた。昼間は家の近くを行く大型車やヘリコプター、さらには個人的な事情により隣人の行き来による床の振動、さらには自宅内でも家の者が家事をするさいに、不意に振動があるかもしれないからだ。

振動でなく音ならば、自室の外で人が話してもパトカーや救急車が音を鳴らしてもそれを針が拾うことはないと、この数日のデジタル化時に確認できた。でも振動は気になる。ただ一度聴くだけならいいが、デジタル化するとそれからはデジタル化したwavを聴くことになるから。

1枚のレコードをデジタル化するのに、最初は1時間かかった。片面の再生に16分ないし23分くらい。しかしその前には袋から出して埃をチェックしてクリーナーで拭く作業があり、プレーヤーの回転速度チェック(後述のように環境により速度は変動する)、そしてPC側の録音準備がある。演奏中に不運にも録音レベルが0dBに達してクリップしてしまったら、録音レベルを下げて最初からやり直しだ。演奏が終われば袋に仕舞う前に埃をチェックしてクリーナで拭く。そのレコードを所定の場所へ置き、次のレコードを出してくる時間。それらを平均すると最初は1枚に1時間かかった。

所要時間はその後少し短くなった。その理由は、私が精神的にいくつかの点で妥協をしたからだ。最初の頃に所要時間が延びてしまった要因が、いくつかあった。

要因の中で最も大きいのは録音レベル。なにしろ、録音が0dBにクリップしたらその面のレコード再生とデジタル化はやり直しだから。最初のうち私は録音レベルを、クリップしない範囲で可能な限り高くしようとした。これには理由がある。物事にはたとえ変なこだわりと思えるものでも、その人なりの理由があるものだ。以前にカセットテープのデジタル化を始めた時、私はPCでの録音についてよく知らず、SoundEngine Freeの録音レベルインジケーターが赤・黄・緑に色分けされているのを見て、黄色は注意・緑は安全だから黄色に引っかからないようにとレベルを決めた。でも実際には0dBにクリップさえしなければ良いと後で知った。つまり、最初のうちにデジタル化したカセット音声は黄色レベルにも引っかからないというレベルの低さで録音してしまった。その時の後悔があるから、今回は私はできるだけ録音レベルを高くしたかった。しかしレコードは、盤によって記録のレベルに違いがある。あるレコードでは良いPC録音レベルでも、別のレコードではあからさまに0dBを突破する。私は録音レベルへのこだわりを捨てきれないながらも、何枚ものレコードをデジタル化するうちに少しずつ「どのレコードもクリップせずに済む録音レベル」がわかってきて、クリップするたびに何十分もかけて再デジタル化する精神的疲労も手伝い、ついにその録音レベルで妥協することにした。たまには、その録音レベルでもクリップするレコードがあって驚かされる。それ以来上記の録音レベルは「大半の(全てではない)レコードがクリップせずに済む録音レベル」と意識しなおすことになった。

2つめの要因は、私自身のこだわりをなくすことだった。私は今思うことがある。人は、何かに一生懸命になればなるほど、とくにその作業の最初の時点で何かの壁にぶつかるものではないか。これは裏付けのない、私の数十年の人生経験にすぎないのだが、私はそう思う。最初のこだわりというか「ようし、やってやるぞ!」という気持ちが強いほど、作業を始めてすぐに何か(他の人間の言動、または私を取り巻く状況)の壁にぶつかり、心が折れそうになることが多い。その時点で「なにくそ!」と無理を通すと先の道が開けるが、実際にはショックが強くて折れてしまうことが大半だ。先日風呂に入っていて、不意に脳裏に「反作用」という言葉が浮かんだ。これは物理学の分野だが、物体Aが物体Bに力を加えると、BもAに同じ大きさで反対向きの力を返すという物理学上の真理だ。その時私は、今まで「人生の道に立ちふさがる壁」としか思っていなかったものの正体がわかったような気がした。さて今回のデジタル化では、私は無理を通すという方法を考えなかった。なぜか。先ほど「無理を通せば先の道が開ける」と書いた私がそうしないのはなぜか。今回は、その「無理」の対象が隣人だ。レコードを再生してデジタル化している最中にドスドスと気になる音を立ててトイレへ行く家人。かれは、トイレへ行くという正当な行為をしているだけだ。それにたいして私が「レコード針の音トレースに影響を及ぼしたらどうするんだ」とイライラすれば、影響の行方はデジタル化の問題ではなく家庭内不和になってしまう。ちょうど、私自身も数度のデジタル化でこだわりすぎて疲れた。それと時を同じくして、今回開けたレコードにはジャケットにたくさんのシミ、レコード本体にひとつのカビが見つかった。私は思った。何をそんなにこだわっている、私よ。たしかに私は子供のころにもレコードを大切に扱ったが、それでも今のような病的なこだわりはなかったから、子供っぽくレコードに傷をつけてしまったり、ジャケットに水をこぼしてしまったり、「レコードの静電気には水で洗うのがいい」と聞いて試したら厄介なことになったり、色々した。その結果満身創痍となった今のレコードは私自身の人生の記録であり、今の私が愛してやるべきはそれだ。可愛いレコードと「遊んでやる」ことを忘れて私は何をしているんだ。これが結局、周囲の音などへのこだわりを消す結果、気になる所を後からチェックする手間も消し、時間短縮になった。

3つめは時間短縮にはあまり貢献しないが私が考えるべきこと。私のレコードプレーヤーは速度微調整がアナログにしてマニュアル方式だ。水晶振動子などは使っていない。その結果、環境により速度が微妙に速くなったり遅くなったりすることが判明した。私は初め、この現象がプレーヤーの不調ではないかと考えた。そもそも私のプレーヤーは数十年前のもので、速度が調節しきれなくなって修理に出し、直って返ってきたばかりだ。しかし何枚ものレコードをかけるたびにストロボ縞目を観察しているうちに、これは不調ではなく、ひょっとして気温が微妙な影響を及ぼしているかもしれないと思うようになった。前述のとおり私は夜にレコードをかけるが、たいていの日は時間が遅くなると気温が下がる。その肌で感じた気温の変化と、ストロボ縞目が微妙に流れるようになるのとがかなり一致する。ただ一回聴くだけならばそんなに神経質にはならないが、音をデジタル化してこれからはそれを聴こうと考えていると、ついこだわってしまう。それで速度微調整のつまみをいじってストロボ縞目が完全に移動しないように調節する。この作業は意味があるともいえるが、それは理論的な話だ。現実には、あまり神経質に動かさないほうがいい。なぜか。微調整つまみは小さな可変抵抗器につながっており、その可変抵抗器は数十年前のものだ。今回のプレーヤー修理事項の中に、この可変抵抗器のクリーニングも含まれていた。可変抵抗器は頻繁に動かすうちに接触不良となる。音声ボリュームならばガサガサと音がするようになり、電圧制御用ならば値が不安定になる。子供の頃、私は「電気いじり」が趣味だったので、古いラジオの壊れた可変抵抗器を分解して遊んだこともある。はるか昔子供時代の記憶だが、可変抵抗器の内部には電圧にたいして一定の抵抗値をもつ物質が塗られるか何かして存在しており、その上に接点となる金属が接していたと記憶している。その金属は我々が指でつまんで回す部分につながっていて、接点が抵抗値をもつ塗布物上を滑ることにより、どれだけ長く塗布物を経由して電流が通るかが変わり、それが抵抗値の変化となったと記憶している。つまみを頻繁に回すと接点は塗布物を少しずつこすって削り取ってゆき、ついには抵抗値の変化が滑らかに行なわれなくなる。そう私は記憶している。だから私は、とりわけ大事なレコードのデジタル化のさいには速度微調整をこだわっていいとしても、その他のレコードを再生するさいには神経質にならずに作業すべきだ。そのほうが、大事なプレーヤーの寿命を短くせずに済むから。

結局どの項目も、つまるところ私自身の「過度のこだわり」を捨て去るということに行き着く。こだわりをもつ人間というのは、他人から見ると異常に窮屈なことをしているようだが、本人にとってはそれが満足感につながっていたりする。しかしそれも度を越すと他人に迷惑をかけ、自分もストレスを抱える。現実をわきまえ、程度を心得るのは大事だ。

周りに迷惑をかけつつも、作業は良い方向に進んでいる。今までの数回のデジタル化で、私は「作業のさいにトラブルが生じるとすればそれは何か」を知ることができた。振動については上述のように作業時間帯を夜とすることにより回避しており、室外で音がする程度では影響がないことはわかった。PC録音レベルにこだわると駄目なので、こだわりを捨てて上述のレベルに統一することにより0dBクリップをほとんど出さなくなった。その他自分の病的なこだわりを捨て、自分の目的がHi-Fi追求ではなく懐かしいレコードと「遊んでやる」ことだと再認識することで作業効率も精神面も改善した。

あとはその延長として、レコード音声のデジタル化以外の生活とのネゴシエーションというものを実現しなければならない。どういう意味か。もしも一日の最初にデジタル化作業があれば、それが終わった後の一日を家事などに専念できる。ところが実際にはデジタル化作業は一日の最後の数時間だ。そのせいで、朝起きてからの一日をつい、最後のデジタル化作業に支障のないようにと考えながら行動してしまう。これは本当は良くない。たとえば手荒れ。これから冬になると、肌はガサガサになる。でもレコードをいじる前にクリームを塗るわけに行かない。かといって、たとえば雑巾がけを繰り返した後のような荒れ放題皮膚ボロボロはがれ落ちの指ではレコードを触りたくない。でも家事はすべき。困る。そう、毎日それで困る。デジタル化以外の日常生活は大切なものだ。それとデジタル化作業を、なんとかして両立しなければいけない。これが私の言う「レコード音声のデジタル化以外の生活とのネゴシエーション」だ。

そういう悩みはありつつも、デジタル化開始から今までの間に問題点の列挙はできたと思う。つまり、暗中模索ではなく試行錯誤でもなく、進む道は見えている。

今日、新たな問題点がひとつできた。でもこれは、上記の諸問題とはまったく別のものだ。私は今まで、デジタル化済みのwavをゆっくり聴く機会などあるはずがなかった。晴れた日には必ずデジタル化作業をし、作業が終われば23時を過ぎていて寝る用意をしなければ翌日に支障があり、作業の前には家事をすべきだったから。ただ成功していると信じて次のデジタル化をするしかなかった。今日は雨が降ったのでwavを聴く時間がとれた。たしかに目的のレコードの音はwavに入っていた。しかしこれが、デジタル化の最中にヘッドホンでモニターしたのとは別物のようにつまらなく聞こえた! もしも私が今回初めて「デジタル化」という作業をしたのなら、相当にショックを受けていただろう。でも私は以前に「カセットテープ音声のデジタル化」をしたことがあり、その時にも似たような経験をしている。カセットテープの時と同じ方法で対処できるかどうかは、明日以降に実験してみないとはっきり言えない。

ふだんパソコンばかりと接していてflvとかmp4とかmp3に慣れている私にとって、レコードの音が相当に美しいと感じたのは事実だ。できれば、「デジタル化したら何だかつまらなくなった」というのでなく、レコード再生時にヘッドホンでモニターした時と同じだけの臨場感がwav化データでも再現されてほしい。雨が止み天気になれば私はまた毎日デジタル化の日々、ブログ記事を書く暇はなくなるし、それどころかネット接続する暇もほとんどない。私が新しい記事を出さずに沈黙していたら、「デジタル化作業を頑張っているんだな」と思ってほしい。

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