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人生補完計画 昔の雑誌の保存 [  昔の本(補完計画)]

PC-98データのサルベージ、VHSからDVDへ、子供の時に聞いた歌、と続いた私の人生補完計画は、次のフェーズとして「昔の雑誌の保存」に突入した。これには2つの意味がある。

まず、私の家は小さいので、生活する部屋には物がひしめいている。だから普段使わないものは押入れとか天袋とか、普段触らない場所に保管することになる。そうすると天袋とか押し入れとかに一度入れたものは、それが逼迫して必要になるまで出さない。ということは、出さなくても生活を続けていられるようなものは、出さないまま十年、二十年と経ってついぞ見ないままだ。そう、それこそが昔の雑誌だ。

そして、雑誌というのは紙で出来ている。さらに言えば、そんなに上質の紙ではない。年月が経てば茶色く変色してゆく。さらに、昔触った時の手の脂が指紋という形で数十年後に浮き上がってくることがある。つまり、そのままの形で保てるとは限らない。

だから、保存しなきゃならないと考えた。スキャナーで取り込んでハードディスクに入れておけば半永久的に保存が可能となる。私は最初そう考えた。

でも、雑誌のページ数は半端じゃなかった。確かに理論上は上記のとおりだろう。ただし可逆圧縮で数百、数千ページを保存するにはサイズが大きすぎ(別に出来なくはない。ハードディスクの相当な容量を占有しても良いのなら。)、非可逆圧縮では圧縮率を相当低くして画質を高くしなければ(とくに漫画のようなベタ塗りの絵で)ノイズが出る。その結果1ページにつき1MBを軽く越す。ここから先はファイルサイズをどこまで許容するか、ハードディスクの占有をどこまで許せるかという話になる。

私の場合、新たに買ったばかりの外付けハードディスクを昔の雑誌のスキャン画像だけで一杯にするのは抵抗があった。なぜならこの後に、昔のカセットテープの中身を保存するという大仕事が控えているからだ。空き容量がたくさんあるからといって無計画にファイルを詰め込むわけにゆかない。暫く悩んだ結果、画質はほどほどの線で妥協することにした。そもそも昔の雑誌のすべてのページがノイズなしで保存したいほど大切なわけじゃない。どうでもいいページのほうが多いのだ。それと、取り込んだ雑誌をPCのモニターでじっと見ながら思った。スキャナーでスキャンした時点ですでに元画質と同じではない。オフセット印刷っていうのだろうか、印刷所で行っている書籍の印刷ってのはすごく綺麗だなあと。スキャナーで取り込んでデジタル化し保存しても、美しい印刷のオリジナルを平気で捨てる気になれない。オリジナルに勝るものはない。コピーは所詮コピーなのだ。

さて、私が今回言いたかったのはここまでだが、「昔の雑誌なんか保存して何が楽しいんだ」と思う方のために実例を示しておきたい。でもここから先は私個人の趣味にかかわることだ。あなたも同じように楽しいと感じるわけではない。それでも、「なるほど昔の雑誌を保存しながら有意義に過ごす奴がいるんだな」と納得していただければ幸いだ。

はるか昔のゲーム雑誌で、はるか昔に永久休刊となったものがある。今回のスキャンでそれが出てきたので実例として丁度いい。

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写真の一番上にあるゲーム画像を見ていただきたい。小さい頃に怪獣映画を見に毎年映画館まで行っていた男の子が少し大きくなって、この雑誌が出た時にPC-98シリーズを持っていて、それでこの画像を見た人は間違いなくゲームソフトを買いに走ったはずだ。私自身、秋葉原の店の陳列棚にこのソフトのパッケージが並んでいた記憶がいまだに残っている。もちろん私はそこから1つを取り、カウンターへ向かったのだ。

さて、昔の雑誌なんか保存して何が楽しいのか。それは、昔の雑誌を保存する過程で、そんなことでもしないうちは再び目にしなかったであろう昔の雑誌のページに逐一目を通すことになり、昔の自分が思い出されるからだ。昔のガキだった頃の自分は今の大人になった自分とは違う。これは「自分自身との対話」だ。昔のガキの自分は世の中が見えていなかったが、何事にも純真に取り組み、つまらない事にも一生懸命になれた。今の大人の自分は世の中でお愛想笑いを浮かべてそれなりに生きる処世術を知っているが、心の枯れたミイラだ。昔の自分から教えられることもたくさんある。

逆に、今の自分のほうがすぐれている部分もある。私は、小さい頃には映画館で見る怪獣たちが全てで、それを作った人たちとか演技している俳優なんてことは考えていなかった。だからこのソフトが出た頃でさえ、私はただひたすらに昔見た映画の面影を探したものだ。でも大人になった私は、映画を作った人のことを考えるようになった。今回二十年ぶり位に記事を読んで、多くの発見をした。記事からはこのゲームソフト担当プロデューサーの熱い思いを窺い知ることができる。その貴重な記事がこれだ。

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熱き思いで怪獣王のごとくに進もうとするプロデューサーと、人間の限界を超えた要求を阻止せんとするデザイナーとの攻防戦も垣間見ることができる。最後の2枚の写真は、それ以前の3枚が掲載された雑誌よりも後の号での記事だ。後の号では記事執筆者までがプロデューサーの熱い思いに飲み込まれ、前号とはソフトの、いやプロデューサーの認識が変化している。記事執筆者を飲み込み、すべてを飲み込み、もう誰も彼を止められない。このプロデューサーはまさに怪獣王である。今回昔の雑誌を保存する過程で、私はこの人間怪獣王に出会えた。じつに有意義だ。
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