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人生補完計画 進行中 [  その他(補完計画)]

私が初めて「人生補完計画」と名付けて行動を起こしたのは去年の暮れだったが、それについて書いたブログ記事は(もったいないことに)後で処分してしまった。「つまらない記事は載せまい」「恥ずかしい記事は載せまい」という引っ込み思案の気持ちが働いたのだ。こうやって記事を捨てながらも、私は何かきっかけがあるとつまらない記事や恥ずかしい記事をつい載せてしまうのだから、我ながら困ったものだと思う。

記事は処分してしまったが、計画のほうは進んでいる。まず初めに行った「PC-98データのサルベージ」はもう完了した。このサルベージは厳密にはドキュメントやゲームのサルベージではなく、思い出のサルベージなのだ。年をとって仕事のことばかり考える人生になり、かといって職場は私のことを考えてくれず、こんな人生にいささか疲れてきた。そこでふと気づくと、はるか昔の若い頃に熱を入れたさまざまなものが部屋にある。でもそれは今では使われないメディアやマシンの中に入っていて、今サルベージしておかないとデータが取り出せなくなる日が来るかもしれない。こうして昔のものを救おうとし、昔の自分を再発見することは、実は自分の本来の方向性を見つめ直す大事な一要素なんじゃないか。それでこの人生補完計画が発足した。

PC-98サルベージが完了した今は、VHSビデオデッキとDVDレコーダーを接続する計画がまさに進行中だ。接続そのものはもう完了し、現在動作チェックをしている。この接続をごそごそとやっている最中に、なんと機器を載せていた棚板が落ちた。その事件さえなければ今頃はもっと処理が進んでいただろうが。でもこの事件のおかげで、私は少し懐かしいことを考えることができた。というのは、この棚板といのが厳密には大昔のオーディオラックを再利用したもので、このラックは私がまだ高校生だった時に手に入れた品なのだ。今回棚が壊れたせいで「ラック自体を処分するか、修繕してさらに使い続けるか」と思い巡らしたが、それもまた昔の自分との対話のようなものだ。

PC-98サルベージにPC-98エミュレータが必須なように、VHSビデオデッキとDVDレコーダーの接続にはDVEが不可欠だ。エミュレータもDVEも、ネット上の特定の場所では話題にすることを避けているかもしれないが、この問題は厳密に捉えなければいけない。エミュレータやDVEはそれ自体が悪いものではない。ただ人間がこれをある種の目的で使う場合に、それが悪い行為になりうる。だからといってエミュやDVEそのものを、そしてそれの使用法すべてを否定されては困る。エミュは、昔自分が作成したドキュメントや自分がお金を出して買ったゲームを(厳密にはゲームそのものよりもプレイした時の思い出を)、今後も参照できる形で残すための大切な手段だ。いっぽうDVEはというと、私の場合、外国へ行って探し歩いて買ってきた映画のVHSビデオテープがある。何とかして外国語をマスターしようと、訪れた町町でビデオ販売店を探したのだ。英語だけは日本でも英語音声日本語字幕のビデオがいくらでも手に入るが、ヨーロッパ言語はそうは行かない。日本で発売されるのは限られたわずかな映画だ。だから現地へ行ってヨーロッパ語音声で字幕なしのビデオを買ってきて、必死にリスニングして勉強するしかない。ヨーロッパはNTSCでなくPALだから、これを再生するには特別に高価な再生機も買わなければならなかった。こうして苦労して手に入れたテープも再生機も大切なものだから、酷使して壊すわけにゆかない。映画は別テープに保存し、それをリスニング勉強用に酷使した。これだけ外国語学習のために必死になった結果の行為を、そして他人に迷惑をかけていない行為を、一体誰が批判できようか?だから私はDVEそれ自体をけっして悪く言ってくれるなと主張したい。

昔は、必要になるたびに機器の接続を変更して、その時だけDVEを引っぱり出してきては接続して使った。でも今回、人生補完計画の一部としてVHSビデオデッキとDVDレコーダーを常時接続した状態に保つことにした。こうすることで、最近怠けていたリスニングに再び目を向け、昔の映画ビデオでまたリスニングをし、リスニングで酷使したメディアが壊れたらすぐに次の酷使用メディアを作成することができる。

なんだか話が妙な方向へ行ったかもしれない。でもブログ記事はエッセイみたいでも悪くないだろう。ここ数週間は書いた記事を片っ端から処分してきたので、この記事は処分したい気持ちになる前にUPしてしまおう。
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