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腰痛改善散歩を再開 [手記さまざま3]

恥ずかしながら腰痛改善散歩をいつの頃からかサボっていた。毎年冬はこうなってしまう。冬の始めからではない。むしろ冬の始めは、どんなに寒くても雨が降っても散歩する。家人がそれを見て驚き感心する。しかしこれは、一度サボったらもう行かなくなるとわかっているからこその必死の行動で、他人にはそれがわからない。やがて長い冬の間に1日散歩しない日がある。事情はもう忘れた。とにかくその日を境に散歩しなくなる。家人がそれを知って驚き呆れる。しかしこれは、散歩する本人にとっては最初から危惧していたことで、最初から何ら変わりはない。今年はコロナウイルスが追い討ちをかけ、こうなると散歩なんか行くはずがない。それでも、健康のために散歩しなければという気持ちはいつも心の片隅にある。
昨日は久しぶりに散歩した。公園では何人もの子供が遊んでいた。ヨーロッパとはコロナウイルスにたいする危機感が違う。
なぜ昨日は私が散歩をしたか。実はそれは散歩ではなかった。歩き回って結果的に散歩になった。ではそれは、散歩でないなら何だったのか。不燃ごみを捨てられる場所を探しに行ったのだ。ごみの収集・分別方法は各自治体で異なるだろうから、説明せねばなるまい。私の所では、2週間に1回だけ不燃ごみを捨てられる。一度捨てそこねると2週間捨てられない。私が昼頃にふと気づくと今朝が不燃ごみの回収だった。これで2週間ごみを家に置いておかなければならない。でも、何か手はないだろうか。他の町ならば、他の曜日に不燃ごみを捨てるのではないか。腐って迷惑をかける生ゴミではないし、片手に下げられる大きさだから、他の町のごみ置き場に置かせてもらおう。そう思って私はごみ収集パンフレットを見た。幸運なことに隣町が翌日の朝不燃ごみ収集だった。隣町のごみ収集場所は知らないから、まずはごみを持たずに隣町へ行き、ごみ収集場所を確認、一度帰宅し、翌朝までの間に不燃ごみを持ってもう一度行く。完璧な作戦だ。
私は隣町へ向かって歩き始めた。ところが、もういいかげんに隣町のはずという場所まで来ても、電柱のプレートにはまだ私の町の名前が書かれている。おかしいと思いつつ、やっと思い出したことがある。大昔、ここはまだ宅地ではなく荒れ地で、その頃は隣町扱いだった。しかしその後ここが住宅地になった時だったか、あるいは後年に住所表記整理があった時だったか、住民から運動が起こったそうだ。その隣町の名前が「阿保」で、住民としては、自分の住所が阿呆は嫌だから、近隣の別の町に組み込んでくれという訴えだったそうだ。その時以来、ここは阿保ではなくなった。私はあてが外れて、行けども行けども阿保にたどり着けなかった。
さんざん歩いた挙句に私は阿保のごみ収集場所を見つけられず、それでも散歩だけはしっかり出来たという事情だ。
こうして私は自分の町の不燃ごみ収集日に間に合わなかっただけでなく、隣町の収集日にも間に合わなかった。でも、隣町というのは、ひとつではない。今度は別の隣町が不燃ごみ収集の日を目指そうと思う。


追伸
散歩を再開という記事を書いたとたんに、にわかに緊急事態宣言の可能性がでてきた。買物はともかく、ただの散歩をする雰囲気ではない。世の中は色々だ。


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