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無題 [手記さまざま]

しばしば人は歳をとると時の流れが速く感じる。「ふと気づくとあれからもう1年が過ぎた、早いものだ」「もう今年も半分終わった」あるいは「もう今年も終わりが近い、早いものだ」という、あれのことだ。それは私ひとりが思うだけでなく、他の人からも聞いたことがある。ところが、そう思う私自身が「実はそれは違う」と知っている。なぜなら、ついこの前まで、6月には私は時の流れがとても遅いと感じていたからだ。

6月には私は毎日早起きをして、起きたら1時間、古本をスキャナでデジタル化していた。たとえ気が乗らない日でも自分を鼓舞してせっせと作業する毎日を送り、「今日はこんな本が出てきた」「明日の本はどんなだろう」と日々を送ると、時の経つのがとても遅く感じた。それだけ1日1日に新鮮さがあったということではないだろうか。子供の頃に時間の流れが遅く感じたのは、「なんでもかんでも経験し尽くした大人」と違って、子供にとっては1日1日に新鮮な何かとの出会いがあったからではないだろうか。大人になった後でも、1日1日に新鮮な何かとの出会いがあると時の流れを遅く感じるのではないか。

でも私の作業は6月末に終わった。今朝私は思った、「ふと気づくと7月ももう半分終わった、早いものだ」と。時の流れはまた速くなっていた。与えられた仕事はやっている。でもそれだけでは、人は駄目らしい。毎日が同じ作業の繰り返しでは、時の流れは速くなる。

古本のデジタル化は私だけに意味のある、とても個人的なものだった。巷で流行りの趣味ならばまだ話題性があるが、地味なスキャン作業で、しかも大昔の古本では・・・。それでも私個人にとっては自分の人生を有意義にしてくれるものだったらしい。時の流れが遅いというのは、つまり人生の中身が濃いということだろう。たとえ個人的な趣味でも、それで人生の中身が濃くなるのならやりたい。

では次に私は何をやるのか。ここまでの話は私以外の人にも何らかの意味があるかもしれないが、ここから先の話は本当に私個人の話になってしまう。私は何にたいしても意欲が湧かない。これを書いている今、テレビではFIFAワールドカップの決勝戦が延長戦になっている。手に汗握ってテレビを見ている人もいるだろうが、私はテレビに背を向けてこれを書いている。今日の話題のために結果だけは知っておくべきだと思い、さっきからテレビは点けている。2002年や2006年のワールドカップでは私は違った。特定の国を応援していたし、その国が勝てば自分が関係する教科を大学で選択履修する学生も増えるだろう。私は自分個人のことだけでなく、自分が関係する教科の未来まで考えていた。ところがその後、私の職場のひとつは私をリストラし、もうひとつの職場では「学生を察してやることも教師として切磋琢磨することもなく、自分は研究者だから教師でいられると信じ込み、日々ただふんぞり返って平気でいる教授たち」に私はたいそう失望した。この大学はもう終わりだと思った。ようするに私は自分の仕事環境に失望した。私が無気力になった理由のひとつは確実にこの失望だ。だからこそ私は仕事よりも、仕事とまったく関係のない「若い頃の思い出の品」に人生の意義を求めるようになった。

それでは次に私は何をやるのか。リストラのせいで年収が減り、毎日を節約しながら過ごす私は金のかかることを何もする気になれない。「今日は金を使わなかった」ということが私を安心させる。昨日も久しぶりにピザが食べたくなりネットで調べたが、そのあまりの高さに注文をやめた。ピザはたしかに高い。でもこのままでは、私はどんなものにも金を使うことなく、その結果何もせず、意欲が湧かないまま生きるだろう。そこで今、金のことを一時的に考えないことにしよう。いくらかかるかをまったく考えず、世の中の何でも金なしでできる世界だと仮定して、それなら私は何がしたいのか。

いま、FIFAワールドカップの優勝国が決まった。でも私はこの記事を書き続けよう。昔は、私は何度か外国旅行をした。最初の外国旅行は若い頃で、たったひとりで宿も予約せずに1ヶ月ほど行ってきた。いわゆるバックパッカーだ。若い頃にはそれをやる無謀さと、その無謀を無謀でなくしてしまう強い機運があった。それからずいぶん経って、私はパッケージツアーに目覚めた。私はどこへ行っただろう。ちょっと立ち寄っただけの国も含めて良いのなら、日本から太平洋側へ向かってぐるりと思い巡らすと、カナダ、アメリカ、スウェーデン、デンマーク、フランス、スイス、ドイツ、オーストリア、イタリア、トルコ、カンボジア、チャイナ、韓国。いちばん良かったのはトルコ。親は以前にベトナムへ行きたいと言ったが、腹に虫がわくことを本気で気にしなければならない土地へ行くのは却下。私はバリ島に興味があったが、いまだに行っていない。若い頃にずいぶん長い間興味があったが、長年の間にさすがにその興味も失せた。親はハワイへ行こうと言うが、私が昔ハワイに興味があったのはワイキキが好きだからではなく、人々が行く所へは自分も行っておきたいというそれだけだった。今はあまり行きたくない。BSEの心配はもうしないとして、私がアメリカ圏に行きたくなくなったのはチップ制度が苦手だからだ。今までの経験と記憶が、些細なことだけれどもマイナスに働いている。私は昔、タイに興味があった。いや、今でも興味がある。外国旅行中にタイの女性に会ったことがあり、外国語で少し話した。顔も美しかったが何よりも話し方が美しかった。でもパッケージツアーで観光するとなれば、何を見に行くのかのほうが大事だ。親は一度タイに行ったことがあり、カンボジアに似た寺院はもう飽きたと言う。たしかに観光は寺院がメインかもしれない。こうして改めて考えた結果、気力のない私がそれでも選ぶならば行きたい場所はトルコまたはタイ。トルコは一度行っており、同じものを再度見るために行くには旅行費用はあまりに高い。タイは、人間には興味があるが、寺院を見たいわけじゃなく、では行っても観光に興味はないのかなということになる。それでも、それを押して行くかどうか、そこが問題だ。

私は昔ならば、国内旅行も何度かした。北海道(道東、道南)、白神山地、奥入瀬、日光、青梅、奥多摩、横浜、鎌倉、茅ヶ崎、昇仙峡、箱根、富士五湖周辺、尾瀬、軽井沢、上高地、白川郷、京都、奈良、神戸、宝塚市、白浜、広島、宮島、萩・津和野、秋芳洞、九州(鹿児島を除く)、沖縄離島。これでわかるように、北から南までそれなりに制覇している。これがもしも未制覇の地方があったら、たとえば北海道にはまだ行っていないということならば、旅の目的地は容易に決まっただろう。しかしそうではなく、行きたい所はほぼ行った。さてそれでも行くとすれば次はどこ?という話だ。私が国内旅行をしにくくなった理由は制覇済みということだけではない。国内旅行は、そもそもツアーの形態が昔と変わった。旅行パンフレットを見ても、ネットで調べても、今のメインは添乗員つきの旅行ではない。行き帰りの交通機関と宿泊とレンタカーがセットになっており、勝手に行ってらっしゃいという旅行がメインだ。私とて若い頃ならば、興味のある場所を自分で調べて勝手に行くという個人旅行はよくやった。でも今、この歳になって、しかもリストラ等で精神的に疲れて、以前のように個人旅行をする元気が出なくなった。この歳になってはじめて、添乗員つき旅行の有難さ、旗の後をついて行けば済むツアーの有難さを感じるようになった。感じるようになったと思ったらなんと、世の中にそういうツアーがあまりない時代になっていた。

私は思った。「ええい!こうなったら日帰りバスツアーだ!遠出が駄目なら近場で考えよう!」そして地元発着のバスツアーをネットで検索した。すごい結果が出た。十数件のヒットがあったが、そのすべてがお遍路さんツアー(四国ではなく地元近くの)だった。お遍路さんツアーその1、お遍路さんツアーその2・・・というふうに。お遍路さんをしたい人には良いことだが、私はお遍路さんをしたいのではない。

ちょっと中途半端だが、今日はここまでにしよう。私が何も考えずに「やる気が出ない」とぐずっているわけではなく、海外旅行、国内旅行のそれぞれについて何度も何度も検討し、諦めてはまた日をおいてチャレンジし、それで今に至っているのはわかってもらえると思う。

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