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野田首相 [震災後の放射能漏れ問題]

今日私が仕事から疲れて帰ってきたら、ちょうどニュースで野田首相のことを言っていた。菅前首相は脱原発路線だったが、野田首相は原発は必要と考え、今後停止中の原発を再稼働してゆくという。これについての私の意見はこうだ。脱原発か原発容認かは時間をかけて議論すべき問題であり、それ自体はまだ現段階でどちらが正しいと言えない。ただし、震災と原発事故から半年経ってもいまだに復興までの道のりは遠く、ましてや被災地の人々の心が受けた傷は生々しい。福島原発に近い場所に住む人の放射能不安はまさに今現在の問題だ。それなのに、そういう国民の傷にも不安にもまるで無頓着に、原発は必要だと言えてしまうような人に日本を任せられない。郡山に住んでいる私の先輩の先輩は、今まさに放射能不安で心を病んでいる。被災地で手助けをしてきた人がラジオで「被災地と行政の間にはたいへんな温度差がある」と感想を漏らしたことがあったが、なるほどこういうことか。

菅前首相の脱原発路線は、ある意味安易な理想論に近いのかもしれないが、並はずれた大きな目標を目指す時には、理想論から出発して努力を始めるものだ。私は菅前首相に大それたことができる素質があるとは思っていなかった。ただ、それまで原発推進の方向で動いていた日本で、一国の首相が脱原発路線に言及したということに意味があった。

ネットの記事によると、ドイツは22年までに原発を全廃する方針だそうだ。つまり日本の原発事故を見て、脱原発の動きが一気に強まったのだな。これが私の言うところの、理想論だ。ドイツは理想論が好きらしい。今までもドイツは理想論を進めてきたが、それは失敗したみたいだ。というのは、これもネットからの情報だが、今までドイツは原発を縮小しながら隣国フランスから電気を買っていたらしい。で、そのフランスは原発推進派だ。自国の原発を縮小しても他国から原発によって得た電気を買っていたら意味がない。ドイツはそういう理想論をこれまでもやってきたらしいのだが、今度の理想論はどうなるか。苦労の末にみごと代替エネルギーを獲得するか、それともまた理想論が理想論で終わるのか。まあ見てみよう。

それにしても私が叫びたいのは、この理想論、言い換えれば脱原発の大きな夢を進めているのが、なんで原子力の恐ろしさを身をもって体験した日本じゃなくて、ドイツなんだよ。なんで原子力に怯える国民を抱えた日本が、よりによって国民が苦しんでいるこの時点で、原発再稼働してゆきますと、いけしゃあしゃあと言えてしまうんだ?たとえそれが首相自身の持論だとしても、日本人には今までずっと使ってきた、表現を曖昧にしてお茶を濁すというお家芸があるじゃないか。なぜそれを使わなかった?国民のほうなんか全然見ていないだろ野田首相。他のものを見てるよな。

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