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無題 [震災後の放射能漏れ問題]

きょう久しぶりに先輩に会った。先輩であり、職場つまり学校の上司でもある。でも話は順を追って、4月に先輩に会った時の事から書かねばならない。

4月には私は放射能を気にして精神的に参っていたから、きっと他の人もそうだろうと思って、先輩に会ったらそんな話で意気投合しようと思っていた。ところが、いざ会ったら先輩が言うには

「いやー英語の外国人講師が自分の国に帰っちゃってね、新学期は始まったのに放射能が怖くてなかなか日本に来なかったんだ。でも授業をしないんだったら辞めてもらわなきゃならないからねえ。それでまあ説得して、彼はしぶしぶ来たんだけど、東京に来て驚いてるんだよ。なんかね向こうでは被災地のすごい映像ばかり流れてるみたいでね、きっとそんなだろうと思ってたみたいだ。そしたらみんな普段通りに普通に出勤してるからびっくりしたんだってさ。だってねえ、我々ここで生きていかなきゃならないから、放射能を気にしたってどうしようもないしねえ。」

放射能の心配事をとことん言い合おうと思っていた私は、何も言えなくなってしまった。その後も先輩には会いに行ったが、先輩は役職柄仕事が多く多忙で、それ以来たいした話はできなかった。

それから約半年が過ぎた。心配性の私もこの頃はようやく元気が出てきた。前の記事に書いたが、日本の放射能騒動は第2段階に入ったと私は考えている。「情報が入って来ずにどうしていいかわからず不安が先に立つ」第1段階は終わった。

そしてきょう先輩に会いにゆくにつけて、私は思った。4月には私と先輩の放射能不安にギャップがあって話を切り出しそびれたが、ようやく私も先輩と同様の状態になれた。今なら先輩が「放射能を気にしてもどうしようもない」と言ったら、「そうですねえ」と返答できるぞ。そしてそういう話で意気投合しようと思いつつ先輩に会いに行った。ところが、いざ会ったら先輩が、先輩の先輩のことを話し始めた。先輩の先輩は福島県郡山に住んでいる。いま放射能不安で精神的に参っているそうだ。私は正直に書くと(え?今になって?)と思った。なぜなら私は何カ月も前からニュースやネットの情報を気にして、自分なりにこのブログに考えをまとめて書き、それを自分なりに納得できる知識となして判断材料とし、今はようやく放射能不安から立ち直りつつあるからだ。場所が福島県だと事情が違うのか。

放射能騒動が第2段階に入って精神に余裕が戻った事をとことん言い合おうと思っていた私は、またもや何も言えなくなってしまった。

私は思った。先輩の顔色をうかがって話を引っ込めるのはもうやめよう。そうしないと何も話せやしない。

時が経ち、仕事からの帰り道、私は考えた。事情は複雑だ。ひとつの対象が、見る人によって全然違う意味をもつ。福島県の中でも原発からある程度離れている場所。そこに住む農家の人にとっては、そこで生産される野菜は国の暫定基準値を下回る結果を得て安全だ。買い控えが起きたらそれは風評被害だ。いっぽう、同じ場所に住む農家でない別の人にとっては、自分の住む場所の放射能レベルが不安だ。不安のあまりに精神まで参ってしまった。我々がもしも人間でなくロボットだったら、論理がすべての存在だったら、こんなに複雑じゃない。2つのうちのどちらかではないだろうか。すなわち、その土地の野菜が安全ならばもう一方の人は安心していればいい。あるいは、その場所が不安を感じる放射能レベルならば野菜も不安だ。これが論理だ。でも我々は人間なので、そうは行かない。安心なんだ。そして不安なんだ。人間の社会はとても複雑だ。

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