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2つめの牛事件 [震災後の放射能漏れ問題]

**** まず初めに ****

ふつう記録はわかりやすいように、初めから書くものだ。でも今回はあえて肉牛農家の言葉から始めたい。なぜなら、人々がこういう記事を読むうちに、まるで牛を出荷した人が加害者で悪いかのような間違った意識が生まれるかもしれないからだ。事情をひとつひとつ確かめてゆくと、今回の農家の人は逆に善良な人だとわかる。彼は南相馬市の肉牛汚染の原因が餌の稲藁だったと知り、気になって自分から調査を依頼した善良な農家の人なのだ。それが今、沢山の新聞雑誌記者の取材を受け、その取材の中には「白河市の稲藁が危ないことはわかりませんでしたか」などという、「わかるわけないでしょ」という答えが返るのが明白な言葉をわざと投げかけて、苦しんでいる彼を結果的にさらに鞭打つケースも見られた。きっと今彼はとても辛いので、私の記事が彼をさらに追い詰めることになるのは避けたい。なお、下に書いたインタビューの言葉は、「苦しんでいる彼をさらに鞭打つ取材」からのものではない。


肉牛を出荷した農家
「こんなことになるとは夢にも思いませんでした。食べてしまわれた・・・人たちには何と言って・・・申し訳ないし・・・悲しいですね。この気持ちわかりますか」

稲藁出荷の農家が所属する団体の代表
「安全なものを・・・届けようっていう思いで・・・今までこういうふうな事業を続けてやってきたわけですよね。ほんとに・・・悔しいです。」

福島県内のある肉牛農家。福島県内全域の牛出荷制限について。
「どうしたらいいんだろうこれ・・・と思って。やっていけなくなっちゃうよ。餌代も何も払えなくなっちゃう。これ出荷できなかったら。」


さらに、これを読んだ人の不安を必要以上に煽らないために、東京大学名誉教授 唐木英明氏の言葉も載せておく。
「1kgずつ100日も食べ続けないと基準に達しないような厳しい基準になっていますし、ですからあの、基準を超えたからといって、すぐに怖がることはない」


**** 出来事 ****

7月14日、福島県浅川町の農家が肉牛に与えていた餌の稲藁から、国の目安を大幅に超える放射性セシウムが検出された。検出されたセシウムの量は最大で9万7000ベクレル、国の目安の約73倍。前回の南相馬市で検出されたセシウムが7万5000ベクレルで、これを上回る。農家はこの稲藁を、浅川町の隣にある白河市から買った。白河市は福島第1原発からおよそ80km離れている。稲藁を作った農家は前年に刈り取ったものを3月15日以降にロールに丸めた。

この浅川町の肉牛農家は今までに42頭の肉牛を出荷。これらの肉牛はすでにすべて食肉処理された。(食肉処理はされたが、全部がスーパー等に出回ったわけではない。)出荷先は、横浜14頭、東京13頭、仙台10頭、千葉5頭。

同日夜の速報にて、仙台市の10頭のうち2頭は山形と岩手へも流通したことが判明。

翌15日には、12の都府県の業者やスーパーマーケットに販売されたことがわかる。ところが時間が経つにつれてさらに広範囲に出回ったことが判明し、少なくとも17都府県に流通。それは秋田・岩手・山形・宮城・茨城・栃木・群馬・埼玉・東京・神奈川・静岡・石川・愛知・大阪・兵庫・香川・愛媛。

その後も新事実が次々に判明、翌16日には28都府県に流通したとわかる。北は秋田・岩手から、南は福岡まで。

原子力災害対策本部は、福島県に県内全域の牛の出荷制限を指示する方向で検討を始めた。

稲藁からセシウムが検出されたのは福島県だけではない。15日、宮城県の、しかも福島原発から遠い岩手との県境にある2つの市(登米市、栗原市)で、稲藁から国の目安を超える放射性セシウムが検出された。最大で国の目安の2.7倍。


**** ここに注目 ****

今回の事件で注目すべきは浅川町の場所だ。前回の牛肉問題が起きた南相馬市は緊急時避難準備区域にあったが、今回の浅川町は福島第1原発からおよそ70km離れ、栃木県に近く、牛出荷時のスクリーニング調査も対象外となるほど原発から離れている。原発からこれほど離れた場所でまさかの高濃度セシウムが検出された。今まで行ってきた福島県内の特定地域での検査ではまったく不十分だったということだ。農林水産省は、福島・岩手・宮城・群馬・茨城・栃木・埼玉・千葉の畜産農家・コメ農家を対象に、稲藁の管理状況について緊急点検の実施を決定。

なぜ原発から遠く離れた場所で多量のセシウムが検出されたのか。それは放射能を含む雨によると思われる。白河市の放射線測定結果によると、3月14日までの放射線量はとても低く、15日の雨以降、放射線量が一気に100倍にも上がった。

ではなぜ稲作農家は、こんな3月という遅い時期まで稲藁を放っておいたのか。稲藁の収穫や梱包はふつう秋に行うが、去年は天候不順が続き、作業が進まず、結局今年に入り、3月11日の原発事故を過ぎて15日-20日にようやく屋外の稲藁を集め出荷したそうだ。

では、原発事故後に稲藁にたいする行政の指導はなかったのか。あったが、それは稲作農家にたいしてでなく、肉牛農家にたいしてだった。3月19日に農林水産省からの指導があり、家畜に与える餌は原発事故の前に刈り取られたもので、事故の後も屋内に保管されていたものや、屋外ならば密封して保管していたものを使うようにというお達しが出た。しかしこの指導は畜産農家を対象にしたもので、稲藁を生産する稲作農家は対象外だった。担当者は、稲作農家が対象外だったことに関して、まさか3月のこんな時期に稲を刈り入れるとは思わなかったと弁解した。

結果的に放射能は行政の指導をくぐり抜けて全国へ「流通」することになった。


**** その他の関連ニュース ****

15日夜から16日朝にかけてのニュース

福島県伊達市と本宮市で栽培された原木シイタケから、国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出された。これはすでに出荷され、福島県は回収を要請した。伊達市のシイタケは基準値の約3倍、本宮市のシイタケは基準値をわずかに超えるのみ。

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