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夏の節電騒動 中間報告 [震災後の放射能漏れ問題]

すでに書いたとおり、このブログのこのカテゴリーでは、10年後の自分、10年後の日本のために「今」を記録している。だから、この夏の節電騒動についても記録を残さねばならない。

私の癖で、話を最初から始めないと何となく気になるので、そもそもの話から記録をつける。

この節電はもちろん、東日本大震災に伴って生じた福島第1原子力発電所の事故がきっかけとなった。原子力以外も含めて他の発電所も停止する中、東京電力管内を中心に各地で電力供給不足が危惧され、まずはあの、人々を混乱させた計画停電があった。この混乱は電気が止まったせいでの混乱ではなく、自分がどこのエリアに属するかがよくわからずに、いつ電気が止まるかわからない混乱だった。この計画停電は、じきに終了。今後行う場合のために、今では電気料金の領収証の片隅に自分のエリアが明記されるようになり、問題は解決した。

これにかわって7月1日から実施中なのが、東京電力と東北電力管内にて企業/家庭を問わずピーク時の使用最大電力を昨年夏よりも15パーセント削減という政府の目標だ。企業のような電力の大口消費者は、電気を使いすぎると罰金だという。

企業ではもちろん罰金を取られないように色々と工夫をしだした。私は人から聞いた話はわずかなので、このさい自分の職場のはっきりした情報だけ書いておく。私が勤める複数の職場のうちのひとつは、7月1日つまり計画節電の初日は悲喜劇が繰り広げられた。各部屋で誰かが冷房をつけると、しばらくして管理棟のほうで冷房を切る。また誰かが冷房をつける。また管理棟で冷房を切る。大元で冷房をつけられないように設定することができないらしく、それが命取りだ。やがて放送があり、「すでに掲示してありますとおり、この時間帯は冷房をお切りいただきますよう、ご協力をお願いします」私はこの放送の後で冷房を切って仕事をしていた。
すると「えー、再度ご連絡します。こちらで冷房を切ってもまたつける方がいらっしゃいますが(以下略)」頑張って冷房をつけている部屋があるらしい。またしばらくして「再度ご連絡します。どこの部屋で冷房をつけているか、こちらでわかっております。」なんか、いたずらした小学生を叱るような雰囲気になってきた。そしてやがてまた「再度ご連絡・・・」放送のたびに仕事を中断されていた私はこの4回目の放送で、天井のスピーカーに向かって「うるさい!」と叫んだ。

ところが、だ。この悲喜劇はすぐに終わった。次にこの職場に出向く日、私は内心「あの悲喜劇は今日はどんなだろう」と思っていたが、何も起きなかった。何がどう変わったかは情報がないが、たぶん完璧な規制を諦めて、取り締まりを緩くしたんだろう。私が通勤に使う電車についても、意外な結果が待っていた。気のせいかもしれないが、最近は冷房が7月1日頃よりも効いているように思えてならない。これで15パーセント節電?職場の天井の蛍光灯がずいぶん外されているが、その程度の対処法に見える。ネクタイなしのクールビズは、今まで以上に推奨され、今まで以上に着やすい環境になった。それなら、日本人は耐えられる。このままずっと続き、これが日本の当たり前の状態でも、私は別に構わない。そもそも私はエアコンの電気を入れない人間だし、最近夜電気を消して早く寝るのは節電のためでなく、朝早く明るくなって寝ていられないから睡眠時間を確保するために必要だし、結局これでいい。住めば都。

(追記 12日のニュースによると、関西経済連合会による企業へのアンケートの結果、30パーセント以上の企業が15パーセント節電は困難だと回答したそうだ。)

それよりも気になるのは、人々が原発についてどう考えているかだ。節電はいつまで続くのか。それは電力の供給量が回復するまでか。それが意味するのは、各地の原発を再稼働させ、これからも原発を認めてゆくということなのか。

管首相は今回の原発事故を見て、原発について「これまでの安全確保という考え方だけでは律することができない技術だ」と認識した。そして彼の指示で、日本のすべての原発にたいして、ヨーロッパで行われている原発テストを取り入れたストレステストというものを実施することになった。これにより、現在運転停止中の原発の再稼働を認めるかどうかは、このストレステストの結果を待たなければならない。各地の原発関係者がこれに反感をもったことは想像に難くないが、その中でも目立ったのが九州電力玄海原発だった。全国で真っ先に再稼働しようとした矢先、ストレステストの話が出て話が振り出しに戻ったから。その後、玄海原発だけ特別に先行してストレステストを行う所まで首相が妥協した。

また管首相は、原発への依存度を今後計画的、段階的に下げてゆくという脱原発路線の発言をした。これまで日本は国策として原発推進を目指してきたそうなので、そこからの完全な方向転換を意図している。朝のNHKラジオで聞きかじったところでは、日本の温室効果ガス削減目標は原発推進を前提に決められているそうで、首相の発言にたいして大きな波風が立つのは当然だな。しかし管首相、頑張ってくれ。私はこのごろ管首相がちょっと好きだ。前にも書いたけど、頂点に立てば人は必ず孤独。さらに、頂点の人物が指を一本動かすだけで下辺の人間は大波のように揺さぶられるから、下辺の人間たちは必ず頂点を責める。これも世の中の道理。支持率最低?そんなものは放っておけ。そもそも支持率低下が怖くて日本の首相がやっていられるか。過去に早々と辞めてしまった元首相と比べて、私には菅さんがそれよりましだとしか思えない。

さて、そろそろ話を締めくくりの方向へと持って行こう。私はさっき書いた。「気になるのは、人々が原発についてどう考えているかだ」と。セシウム入り牛肉消費事件でもわかるとおり、原子力利用にはそれ相応の「恐怖のリスク」も伴うことを日本人全員が認識した。その意味で、菅首相の考える脱原発の方向性はひとつのありうる未来だ。もちろんその未来にはそれに伴う苦しみ(電気料金の大幅な値上げなど)があるだろう。他方で、原発に携わる人々は今回の放射能事件を目の当たりにしても、ひたすらただひとつのことを願っているように見える。つまり、運転停止中の原発を再稼働し、末は原発を推進してゆく。

私はこう思う。人はその発言に責任をもつほうがいい。私は、原発反対と言えば、それを主張するかわりに原発縮小に伴う電気料金の値上げを容認しなければいけない。今現在でさえ決して安くない電気料金のさらなる値上げを。権利を主張すればそれに伴う義務も甘んじて受ける、それが大人だ。「原発は反対だが電気料金を多く払うのは嫌だ」といった駄々っ子は要らない。

それと同じ理由で、原発推進派の方には、「けっして目先の利害だけしか頭にないのではなく、リスクもちゃんと認めており、万一の時はそれ相応の覚悟がある」ことを身をもって示していただく。わかりやすいように極論的な例を挙げよう。原発推進派の人のお子さん、あるいはお孫さんを福島県の緊急時避難準備区域で楽しく生活させていただく。実際その区域で日々の生活を送っている方々がいるのだから、放射能の関係では、特に無理はないのだろう?もしもお子さんやお孫さんの通学等の事情でそれが無理ならば、緊急時避難準備区域からご自宅のお庭へ毎週新鮮な「ずっと外に置いていた藁」をお届けする。お厭ということはあるまい。実際そういう環境で日々の生活を送っている方々がいるのだから。そのさい一番気を揉んでいるのは子供たち自身ではなく、そういう環境で自分の子供を育てなければならない親なのだから、原発推進派の方には同じ状況を体験していただかなくては。もしもその上で「原発推進は日本の未来に欠かせないのです」と言えたら、その時は私はその人を認める。なんだかんだと理屈をつけて拒み、そのくせ言いたいことだけは無責任に言う人は、駄々っ子だから要らない。

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