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「もう一度読んでみる」サイトの完結に祝辞を [手記さまざま4]

「もう一度読んでみる」というサイトがある。子供の頃に親しんだ本を処分するにあたり、もう一度読んで感想文を書くという作業を、2017年から今までに百冊以上の本について行ったサイトだ。このサイトが先日、百冊以上の本を読み終え、感想文を書き終えて、その目的を完遂した。サイトの管理人にしてすべての本を読み感想を綴ったsacoramaさんは、目的を完遂したこのサイトの更新がこれで終わることを惜しむのでなく、大願成就して目的を終えたことを大変満足していらっしゃる。私も祝いの言葉を贈りたい。sacoramaさん、おめでとうございます。

私は「もう一度読んでみる」を訪れて、自分には真似ができないと思ったことがいくつもある。

このサイトの感想文は、ひとつひとつ丁寧に推敲され、読む人に向けて語りかけているように思える。私も15年以上前にはそういうホームページを作ろうとした時があったが、ホームページサービスそのものの終了で移転を余儀なくされた時から急速に気持ちが落ち込み、消滅した。今の私のブログはそのホームページと並行して立ち上げたもので、その真逆の試み、つまり「サイトを精巧に作り上げるのでなく、日々思う事をぶっちゃけて書いたらどうなるんだろう」という実験だった。当然、ブログ記事にまとまりはなく、ぶっちゃけたり、はっちゃけたりという有様だが、何の因果かそっちのほうが生き残った。テーマと目的を決めてこだわったホームページのほうが、消えてしまった。それだけ、ひとつのサイトを一定の目的で更新し続けるのはパワーが要るということだ。パワーを消費して頑張って、一定の目的で作り上げた「もう一度読んでみる」は、見ているだけで何か、とても美しいと思えてくる。

「もう一度読んでみる」の感想文から教わったのは、時間の使い方だ。私が日々の不安や嘆きを無限にブログ記事にしている間に、「もう一度読んでみる」サイトでは、私が記事を出す頻度の15分の1から30分の1の頻度でゆっくりと記事が出て、出るたびにその記事はすごく丁寧だった。私は、自分のやり方で良いと思ってはいない。私のやり方では、記事が自分の糧にも業績にも思い出にもならない。十年以上前に、ある人間にひどく傷つけられた時から、私の精神は何か悪い方へと変わってしまったようだ。その直後に大地震もあり、それからリストラもあり、悪いことが続くうちに私は駄目になってしまった。もしも十年前から今までの間にsacoramaさんのように明確な目的を掲げてコツコツと励んでいたら、今ごろは何か立派なものが出来ていたに違いない。しかし私はそういう時間の使い方ができなかった。今もそうだ。転居と、それに伴う大事な物の処分に毎日心を揺さぶられている。そして多分、「転居さえ終われば自分は変わる」と思うのは間違いだろう。sacoramaさんだって人生には色々おありのはず。それでも本を読み続け、感想文を書き続けた。「いつか」ではなく、「いま」私は何か目的を掲げなければいけない。そこまでは、わかっている。そこまでは・・・。

「もう一度読んでみる」を訪れて、自分には真似ができないと思ったことをもうひとつ挙げたい。それは、人脈だ。私はもともと対人恐怖症だ。それでも友達はいた。でも職場にリストラされた時、それが続けられなくなった。人と会って外食する金がない。たとえ会っても、「今どうしてる?」と必ず聞かれる。みじめな思いをするのはわかっている。だから私のほうから切った。sacoramaさんは何人もの絵描きさんとお知り合いだ。そして記事の絵を描いてもらっている。これがどれほどすごいことかは、私にだってわかるつもりだ。世の中に疎い私でも、棚ぼた的に他人が自分に何かしてくれるとは思わない。まず自分が相手に誠意を尽くす。それで相手との仲がどうなるかは神のみぞ知る。縁があれば友達になれる。いつも相手のことを大事にしなければいけない。口で言うのは簡単だが意見の相違もあれば仲たがいもある。それで縁が終わることもある。ようするに、対人恐怖症の私には、何人もの人に絵を描いてもらうsacoramaさんの真似ができない。

いけない、私のブログの悪い所がまた出たようだ。いつのまにか、ぶっちゃけた話になってきた。私はそろそろこのブログをやめて、別のコンセプトで(ぶっちゃけない形で)ネットに再登場したほうが良いのだろう。

まとめると、私は「もう一度読んでみる」を訪れて、自分には真似ができないと思ったことがいくつもあり、sacoramaさんはすごい人だと思っている。「もう一度読んでみる」はすごいサイトだと思っている。だから、「もう一度読んでみる」サイトは、完結したこれからも存続させて、できるだけ長く消さないでいてほしい。